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2005年06月29日

読者の権利に追加

何か本を読んだら、ざっと振り返ってサマリー的な文章を書く ようにしようと思って、いままでそれなりにそうしてきたけど、こ れがけっこうめんどうくさい。めんどうだと言ってる間に読んだ本 が、線を引かれた箇所や折られたページすら読み返されることなく 積まれていくというのも何なので、手短な感想しか書く気にならな くても、それはそれでいいかという気になってきた。

ダニエル・ペナックが唱えた読者の権利10カ条に、第11条とし て「本の感想を1行で述べて片づける権利」も付け加えたらどうか。 と思ったら、第10条「読んだことを黙っている権利」というのとほ とんど同じか。罪悪感を感じることなんてない。勉強した気になっ て、すべて内容が脳みそから流れ去っても、まったく読まなかった よりはきっとマシ。それでいいんだ。

  1. 読まない権利
  2. 飛ばし読みする権利
  3. 最後まで読まない権利
  4. 読み返す権利
  5. 手当たり次第に何でも読む権利
  6. ボヴァリズム(ボヴァリー夫人みたいに小説に書いてあることに染まる)権利
  7. どこでも読んでもいい権利
  8. あちこち拾い読みする権利
  9. 声を出して読む権利
  10. (読んだことを)黙っている権利

宮台真司、宮崎哲弥『M2 われらの時代に』(朝日文庫、2004)

サイゾーの対談連載。いつも楽しみにしている対談で、わりと 欠かさず立ち読みしているつもりだけど、連載開始当初の古いぶん は、けっこう読んでなかったらしい。

対談した当人たちは意図的にやったと告白しているけど、とく に最初のほうでは「この議論をするなら、これぐらいの思想史的流 れや概念を理解しておいてくれよ」というような、やや講義モード が入っている。勉強家の宮崎が、またよく知ってて何でも手際よく まとめるんだな。

森村進『自由はどこまで可能か―リバタリアニズム入門』(講談社現代新書、2001)

はじめてのリバータリアン入門。おもしろい。見事によくまと まった本だ。

ぼくはパナーナリスティックな代表制議会政治や官僚制って、 社会運営方法として、そう悪くないと思っているけど、確かにもは や社会も経済も(人間の幸せの最大化のために)人間の頭で、どう あるべきかを考えられるようなものではないのかもしれない。人為 や作為よりも、マルチエージェントな市場に任せろ、と。経済だけ じゃなく、政治も教育も。

リバータリアンにも、理念よりも結果としての有利さを主に主 張する人々と、自己所有権テーゼと、それから当然に帰結される自 己決定権を道徳的に自明な自然権だとして主張する人々とで分類で きるらしい。ぼくはてっきりリバータリアンはみな「帰結主義」と 呼ぶべき立場で論じているものだと思っていた。

自明の自然権なんてあるのか。時代思潮や、既存の概念、社会 通念に強く依存するような、「自然さ」は、議論として弱くないか。 というので、ぼくは何であれ「権利」を自明に考えることはおかし いと思う。道徳も同じだけど、なぜ人間はそれを自然権と「感じ」 るのかを数理モデルといわないまでも、原理的に分析して、その戦 略上の優位を明らかにして、それに改めて個々人が合意するほうが はるかにいいと思う。要するに、「こうあるべきだから」ではなく、 「こうするといい結果がでるのだから、権利はこう規定しようじゃ ないか」と議論してほしい。

ロールズの正義論が説得力を持つのは、人間心理の数理モデル にもとづくからだと思う。

リバータリアニズムの根幹をなす自己所有権テーゼに、違和感 を感じる。自分の身体は自分のものだろうけど、自分のもってうま れた才能や健康、美貌など、そういったもの、とくに現代社会で、 もっと重要な要素、成功に結びつく稼得能力にかかわる頭脳は、は たして本当に自分のものなのか。もちろん誰に侵されるべきもので はないけれども、英語で「gifted」というように、こうした才能的 なものが天から授かる運任せのものであるなら、それに運良く「当 選した」というだけのことで、どうしてその人がその全権利を主張 できるのか、それがわからない。たまたま適当に飛び乗ったクルマ のエンジンがいいか悪いかだけで、レースの結果が決まるとき、そ んなレースを公平だと思うだろうか。いいエンジンに乗った人間が、 性能の低いエンジンで苦労している人間に、手をさしのべる道徳的 理由はないというのだろうか。

ロールズを論駁したという、リバータリアニズム中興の祖(?)、 ロバート・ノージックの著作を読まないと。

カタログハウス編集『大正時代の身の上相談』(ちくま文庫、2002)

笑っちゃいけないけど、笑っちゃう、大正時代の人々のお悩み。 いまの悩みだって、100年後の人々には笑いのタネとしかならない のかもしれないよな。リバータリアンの本で描かれる強い個人主義 のもとでの家族像なんかを考えると、平成の「家族」「結婚」に関 するお悩みなんてのも、そもそも悩みとして成立しない時代が来る のかもしれないなぁ。

投稿者 ken : 2005年06月29日 11:00

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コメント

あ、リバータリアンの本……こっそり読んでやがる。

投稿者 大江和弘 : 2005年07月01日 21:16

ってか、向こう(mixi)、ツマンネーよ、kenが居なくなったんで。

投稿者 大江和弘 : 2005年07月01日 21:20

こっそりじゃないよ。そのうち読むと言った本は、たいてい
読むのだす。森村さんの本、もう1冊買ってあるので、それも
近いうちに。

mixiは、みんな物珍しさで熱心にやる期間が過ぎて
トーンダウンしてるんじゃない? ますますハマってる人も
いるみたいだけど。

投稿者 西村 : 2005年07月03日 20:23