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2005年09月29日

渋谷でググる

秋晴れの、すがすがしいいい天気。渋谷セルリアンタワーへ。Google EarthのCTOインタビュー。趣味でデジカメを設計して作っちゃうような、ものすごいテクノロジーオタク。おしゃべりでおもしろいおじさん。グーグルっぽい人だなと思った。

Google Earthはスゴイ。ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』を思い出す。誰もが何度も指摘していることだろうけど、その時代時代の「地図」が、歴史上、いかに人々の世界観を形成、あるいは限定してきたか。自分の国が真ん中にあって国境とは周囲の山々と海であり、それが世界の辺境であった時代、人々にとって、それが彼らの「世界」だった。共同体とは地図を共有する人々のことで、それは想像の届く範囲こそが共同体の境界線だった。Google Earthは、地球をまるごと把握する初めての地図だと思う。地球儀を完全に超えたナニモノかになっている。もしこれが広く普及したら、人々は、まったく新たな世界観を手に入れるんだろうと思う。はじめて地球人であることを、本当の意味で誰もが認識するようになると思う。ぼくも、「世界は平らな円板だ」という主張を引っ込める気になったもんだ(笑)。インタビューの最後に、そういう話をチラッと振ってみた。水を向けられない限り、ホラ話になりかねないので切り出さないのかもしれないけど、「よくぞ聞いてくれた」とばかりに身を乗り出してアツく語り出した。彼は信念を持っていると思うし、ぼくは、そこにとても共感した。技術的に何々ができるからやる、とか、ウケるからやるというだけじゃない。世界を変えられるようなことができると、大きな声では言わないけど、心の中では彼はハッキリそう信じている。

Google創業者のラリー・ペイジにしてもセルゲイ・ブリンにしても、アメリカの若者にありがちな「make a difference!」「what can we do to make this world a better place?」とソボクに言えちゃうような人だけど、それに似た匂いを感じた。技術でもって真剣に世の中をよくしたいと願っている。アメリカ人のそういう善意って、やや独善的だし甘いんじゃないかと思うことがある。もちろん「これはゲームだ」と割り切るゲイツ的文化より、はるかにいいと思う。利口なニヒリストより、ソボクに善意を信じるバカがたくさんいたほうが世の中はマシという気もする。

技術は情報を万民に広く解放する、それによってわれわれ一人一人が「世界」についての理解を深める。それが世の中をよくする第一歩だって、そういうのがグーグルの理念のひとつなんだろうけど、どうなんだろう。グーグルというよりアメリカ人が信じる民主主義か。

民主主義が本当の意味でシステムとして、うまく行くには高い民度が必要。主体的に考えて政治行動に参画するピープル……、教養と見識のある個人? うーん。個々人の教養を涵養するのは情報以外にあり得ないのだろうけど、万人が情報を咀嚼して自分なりに再構成できるなんてあり得ない。日本でもアメリカでも実質識字率は5%にも満たないだろうし。ワイドショーと、ワイドショー的討論番組、電車の中吊り広告だけで動いている。グーグルで「郵政民営化法案」の順位はいったい何位ぐらいだ。どのくらいの人が実際に法案を読み、各党の主張に目を通しただろうか……。現状の民主主義は、言葉が指すモノとは別質のもの。そういう「擬態」民主主義がそれほど悪いというわけじゃないし、ほかに代替案がないのもわかるけど、果たしてこういう二枚舌的構造のなかで「民度」という言葉にどれほどの真実味があるのか。ポストポピュリズム時代って、どんな時代になるんだろうか。

ということはさておき、Google Earthはすごい。5年から10年という単位で大化けするかもしれない。ブラウザに組み込まないと意味がないから、「Operaを買うってどうですか?」と聞いてみたけど、笑われてしまった。でも、GoogleがOperaを買うってすごくありそうな話と思うんだなぁ。というか、なぜいまだにGoogleはブラウザを持ってないのか、そっちのほうが考えてみたら不思議じゃないか。

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2005年09月27日

ケータイ遊び

親会社の社屋で社員総会。なかなか世の中厳しいですな。終了後、久しぶりにEさんやKさんとメシ。飯田橋の家家厨房。不要に上品な中華。味はおいしいものの、しょうもないところでもったいぶっている上に量が少ない。

ネット話のような、携帯話のような、本の話のようなものを、いろいろと。こういうのは久しぶりだから、妙に刺激があってよかった。


携帯でバイオハザードをやってみた。プリインストールのリッジレーサーは、ツマラナイにもほどがある3D描画性能を見せたかっただけという印象だけど、バイオハザードのほうは、それなりにゲームになっているのがオドロキ。通信対戦のオセロも、十字コントローラーの操作性が悪いものの、そこそこのプレー感。麻雀もやってみるか。

Ezナビウォーク系もバイク乗りのぼくにはよさげだし、FeliCaも楽しそうだし、いいおもちゃだなぁ。しかし、まだアドレス帳の登録が1件だけ。うむむ。

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2005年09月26日

コクとキレの読書感想

八木雄二『中世哲学への招待――「ヨーロッパ的思考」のはじまりを知るために』(平凡社新書、2002.12)

中世ヨーロッパで勃興しつつあった“大学”を中心に盛んになったアリストテレス研究が、西欧の精神世界に及ぼした影響というのは、つまり、スターバックスが日本のコーヒー文化に及ぼした影響に匹敵するのだ。どちらも、かくあるべしという前提条件から突き崩して、それまでの構図の再構築を余儀なくさせた。って、ほんとか。

伏木亨『コクと旨味の秘密』(新潮新書、2005.9)

なぞなぞです。ワインに1滴たらすと、その味が劇的によくなるものは何か。(A)醤油(B)魚醤(C)ナンプラー。正解はA~C。BとCはぼくの推測だけど。ていうか、BとCは同じだ。国際的な学術用語にもなっている“umami”の本質はグルタミン酸ナトリウム。ウマミも含め、塩気や甘みなど、すでに化学物質として特定されている味の枠組みでは分析できない「コク」とはいったい何だということを、学際的に(かつ食いしん坊の飲んべえ的に)研究すると、どうやらコクの答えは、甘み、脂、各種アミノ酸あたりに行き着くのだとか。食感だとか、時間、空間的な味の広がりについて、ぎりぎり科学的に説明している。著者によるとコクを多層的に解釈すると、いちばん高次の部分は文化や経験、学習によるもので、だからこそ「コクのある演技」といった形容があるんだという。説明に説得力があるのは説明にコクがあるから、というより、筆者が食道楽の言い訳を「研究」と称しているからに違いない。

松岡美樹『ニッポンの挑戦――インターネットの夜明け』(RBB PRESS、2005.8)

著者本人から見本誌として送って頂いたので読んでみた。日本のインターネット創世記の話はリアルタイムに体験しているし、パソコン通信黎明期の話にも職業柄詳しいので、今さらふつうに歴史を概観するような本だったら読むまでもないというので、やや気が進まなかったのだけど、パラパラ冒頭から読み始めてビックリ。おもしろい。ちゃんとキーパーソンを取材して、彼らの生っぽい証言でストーリーを構成しているから、発言内容やエピソードがすべて新鮮。知らなかったこともいっぱいある。ぐんぐんページを繰って、一気に読了。かつて一緒によく取材して回ったころは、IT系のライターにはない筆力を感じて密かに原稿の書き方を勉強していたりしたものだけど、こういう本が書けるようになりたいもんだと思える1冊だった。日本のインターネット誕生から現在に至るまでの話は、ぼくの20代の仕事人生そのものだったりするようなところもあるので、どのトピックも懐かしい。ビジネス上は敗れ去ったような人々、現に戦っている人々の談話に胸が熱くなった。アキバを歩く村井純らインターネットを作った男達(正確にはオヤジ達)に「インターネットに入りませんか?」といって加入勧誘をしたヤフーのパラソル部隊の話が笑えた。

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2005年09月25日

3Gケータイ購入

所沢の狭山ヶ丘という田舎臭い駅前の携帯ショップで、ふいに携帯を買ってしまった。前日に購入した妻と同じ機種で、auのW32S。これで子どもピッチから、一気に3GでFeliCaでダブル定額で動画メールできて、リッジレーサーもできて、着うたも……、はぁはぁ。

ブラウザがあまりに普通に動くのに感動。速い。プロセッサも速いから、予測変換での入力もかなり快適。「京ぽんはOperaだから」とか、もう意味ないっすよ、通信オタ諸君。悲しいけれどもPHSの時代はとっくに終わっていたらしいぞ。次は3.5Gか802.16系かって議論している時代にPHSにこだわるのも馬鹿らしいといえば馬鹿らしい。

電車のなかで、ひたすら携帯で遊んでいたら、あっという間に所沢から池袋に到着。

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2005年09月24日

人生とは

所沢の義母のところへ。映画『アバウト・シュミット』。ジャック・ニコルソン好演(?)。引退したサラリーマンを次々に襲う、哀れな現実。ハッピーエンドでもないし、空々しく人生を「すばらしいのだ」などと言ったりするでもなく、淡々と。「あなたたちには、まだこういうのは早いかしら」と義母が言う。おもしろい映画じゃないし、狙った深さがあるようにも思えないけど、それがかえって「たぶん人生こんなもんだよな」と思わせる力を持っている。

こんな問答が脳裏をよぎる。「先生、人生とは何ですか」。「人生とは人が生きることだ。弟子よ、まずは字をよく読め!」。「先生、そんなことじゃないんです。私は、一般論ではなく、誰でもない“私の”人生の意味が知りたいのです」。「おまえの人生の意味は、おまえという人間が生きることだ。弟子よ、そんな当たり前のこともわからんのか」。

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2005年09月23日

マンション訪問

多摩川沿いにマンションを購入した大学時代の友人、中村宅へ。新宿から急行と各停を乗り継ぎ、約30分。駅から徒歩5分。微妙な距離か。何となく町並みが懐かしく感じられるのは、小中学生のころに暮らした新興住宅地の匂いがするからか。そここで子ども達の遊び声が聞こえてきそう。

100平米のマンション最上階。ベランダや和室からヒョイと出られる屋上のスペースがかなりいい。あまり荷物を置くなと言われているらしいけど、事実上、専有面積が倍近くになっているじゃないか。「このくらいの広さがないんなら、ここらあたりにマンション買う理由ないよ」とか。

まだ4ヵ月という赤ん坊の彩良ちゃんがかわいい。両親の話では「今日は格別に機嫌がいい」とのことで、ほとんどぐずったり泣いたりせず。

久しぶりに会うリンナちゃんや福島も元気そうだった。

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2005年09月22日

締め切り

連休なので変則の締め切り日。比較的早く原稿を書き終わったものの、苦戦する若人がいたようで、全部のページが終わったのが深夜2時。あぐぐぐ。

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2005年09月21日

Lisp楽しい


プログラミング言語のLispを使って、いろいろと遊ぶ。楽しい。ジャグリングでは投げる高さを数字で表わし、97531だの7441だのとパターンを数字で表す。与えられた数字がジャグリング可能かどうかを判定するプログラムを作ってみた。Lispはややこし目の計算問題とか、アルゴリズムを考えながら書き下すような場合には便利かもしれない。

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2005年09月20日

痛くないなら来るなって


病院へ。3時間も待って問診が1分。「ずいぶん調子がいいんです」。「ああ、そうですか。それでしたら、様子を見ましょう」。以上。痛くないなら来るなということか。まだまだ肩は上がらないけど、もう日常生活でもさほど不便がなくなってきた。


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2005年09月19日

甥っ子の知恵


兄貴夫婦が子どもを連れて遊びに来た。東京で会うのは、しばらくぶりとっちゃんも、夕方に来訪。3歳ちょっとの甥っ子が、ますます知恵を付けてきていておもしろい。自分で持ってきた和菓子の手みやげを物欲しそうに見つめながら「せっかくだから、いただくぅ?」と周囲にアピール。どこかでおばあちゃんの言葉を覚えたに違いない。


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2005年09月18日

アキバヨドバシ、オープン


アキバへ。つい習性で中央通り沿いへ行ってしまったものの、目指すはヨドバシ。確かに巨大だ。特に何も買わず。


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2005年09月17日

横浜チャーミングセール

元町のチャーミングセールで横浜へ。桜木町で大道芸を見て、その後は地元のミカさんと居酒屋でビールなど。コーラを頼もうとしていたのに間違えてビールが出されたので、久しぶりにビールを飲んでみた。ビールは2年半ぶりか。もう一生、1滴も飲まないと思っていたけど、まあ、どうってこともない。

居酒屋のテレビが急に元町特集を映し出した。お店にいた人みんなで見ていたら、そのお店も紹介されて、カメラが店内に! 収録だから、別にその場にカメラが登場するわけじゃないけど、そうとは知らなかったお客はみんな妙に盛り上がった。お店の人を指さして「あっ、テレビに出てた人だ!」とか。しかし、そもそも一緒に飲んでいたミカさんこそ、ホントの意味でテレビに出てる人だったりして。

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2005年09月16日

35歳

早めに仕事を抜けて妻と六本木で待ち合わせ。西麻布と広尾の中間あたりにあるフレンチ割烹「KEIZO」で食事。狭い店内におしゃべりなシェフとその愉快な仲間たち、といった感じのお店。

ジャグリングの練習をやめてから、驚くほど食が細った。おいしいのだけど、いくらでも食べれて、いつまでもおいしいという感じではなく、早々にけだるい満腹感がやってくる。運動したいなぁ。おなかの肉を気にしつつ食べるのって、イマイチだ。

今日で35歳。ああ、30代も後半だ。

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2005年09月15日

音楽生活

ここのところ音楽熱が復活している。何年ぶりだろうか。レンタルCDであれこれ借りてきて、しこしことiRiverに入れて聴いている。音楽のDL販売がいろいろはじまって、安いもんだなーと思っていたけど、やっぱりレンタルCDにはかなわない。レンタルだと1曲300円じゃなくて、1枚300円だし。

2002年にイギリスで大ヒットを飛ばした若手ジャズシンガーのJamie Cullumがイイ感じ。UCバークレーのコ汚い感じのロック野郎、John Mayerも、結構いい。2000年のアメリカ滞在時によく聴いていた、Shaggyも懐かしくてイイ。あと、売れてるらしいStacie Orrico、Beyonceなど。懐メロでAir SupplyとかLove Psychedelico(は現役か)。Chemistryも、ちゃんと聴いてみた。

それより、ネットラジオのストリーミングをMP3化するソフトを使うと、すごい。Winampで適当なチャンネルに合わせ、その背後でStreamripperというソフトを動かすと、128kbpsでMP3化された楽曲ファイルがフォルダにガスガスと貯まっていく。すごいのは、ちゃんと曲名やアーティスト名といったタグまで入れて、曲ごとにファイルを作ってくれるところ。ネットラジオはジャズもクラシックもPOPもあるし、これじゃ、CDレンタルさえ不要じゃん。ていうか、iTunes立ち上げたら、職場のiTunesユーザーの曲が全部聴けるし……、うーむ、その気になれば音楽なんて溢れまくりだな。

MP3化されたファイルをざっくりとiRiverに入れておけくと、いくらでも音楽は聴ける。チマチマと気に入った曲とそうじゃないものを振り分けるほどの熱意もないので、全部ぶちまける感じで入れる。すると、途中にしゃべりが入ったりして、ネットラジオを聴いてるのとまったく同じになる。当然、ラジオを持ち歩いて聴いているという感覚に襲われる。MP3がどんどん貯まっていくフォルダを見たときには、ちょっとめまいがして「音楽の値段ってなんだ?」とか思ったけど、なんかありがたみがないというか……。どうせ一時的に保持しているだけで消してしまうと思っているからか、「所有」の感覚がゼロ。正確に言うと、所有の欲望がゼロかも。

音楽CDを買うというのは、モノとしての所有の側面が強かったという議論がある。いや、ぎりぎりレコード世代の人間からしてみれば、LPからCDに移行した時点で、アルバムの“アウラ”なんてなくなったんだし、所有なんてホントにそれほど意味があったのだろうかとも思うけど。

商品のデジタル純度が高まれば、音楽も映画も最終的にはビット列に対するアクセス権を買うということになる。ビット列を再生する場所や機械は、それこそいつでもどこでも、になる。というのは劇的な変化に思えるけど、電波メディアって、もととそんなようなもんだったわけだしなぁ。結局、ラジオとMP3の違いは何だといえば選曲だけということになる。どの程度、自分の好みで編成できるかとか、同じ曲を延々と聴き続けられるかとか、聴きたいときに聴いた曲が再生できるかとか、そんなこと。


PodcastingのためにiPodがほしいと思ったけど、非iPodでPodcastingを楽しむiPodderってのもある。Podcastingは、ちょっとおもしろいことになりそうだ。

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2005年09月14日

水曜締め切り

取材で新宿へ。大江戸線の都庁前駅を降りて京王プラザホテルあたりを歩くと、ジャグリングをしに来た気分になる。新宿ナイアガラチームは、いつも中央公園で練習している。

ボツすれすれネタ続きで、保留中の手つかず原稿がたまりまくり。連休前の締め切り日で、やらなくちゃいけないことがいっぱい。パラでタスクを走らせる。個々のタスクの所要時間が読めているので、忙しいという感じもなく淡々とスピードアップ。入校担当だったので、珍しく終電を過ぎて2時半までかかった。

いつも締め切りは金曜日なものだから、変則スケジュールで水曜締め切りのときは、なんだか水曜日で1週間が終わるような錯覚にとらわれる。明日また出社か……。

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2005年09月13日

ロボ取材

病院へ。整形外科は25人待ち、2時間半だというので診察は断念。痛みがないと、受診もいい加減になる。そのまま取材で蒲田へ。

蒲田駅前のイタトマでコーヒーを飲みつつ文藝春秋を読む。今月号はおもしろい。舘野泉さんという左手のピアニストの手記は、あまり飾らない文体にかえって迫力を感じるものだった。選挙特集は多士済々。いろんな切り口で分析してあって読み応えがある。

某社取材。ヒューマノイドロボット。「テーブルまで52センチですっ!」とロボットとテーブルの距離を、ポケットから取り出した巻き尺で測って、背後に控えた総勢10名ほどのエンジニアに大声で伝える広報担当者。エンジニアたちは不安そうにパソコンの画面を一斉に見入る。何やらコマンドを入力しているらしい。そして、「では、デモをごらんに入れます」といって、やっとテーブルの上のかごに手を伸ばすロボット。取ったと思ったら、そもまま固まって動かず……。しーん。テレビ局のカメラマンが「これで終わりですか?」と聞く声がむなしく響く。まるでシンプソンズの1シーンのような、ほとんどお笑いのデモ。技術的にはかなりいろいろすごいのかもしれないけど、プレゼンテーションがまずすぎる。

夜、新宿へ。職場のSさん送別会。中華食い過ぎた。帰りがけ、深夜の公園で久しぶりにジャグリングの練習。左手だけでできることって少ない。片手で3つがちょっと上達した。

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2005年09月12日

do inform me, doctor

肩の痛みは日々減ってきて、快方に向かっているように思える。結局原因は不明だけど、よくよく考えてみると、今回の故障は、ある日の練習で起こった怪我というよりも、ずっと蓄積してきた石灰質の沈着ブツが、あるきっかけで痛みを伴う炎症を引き起こしたと考えたほうが自然に思えてきた。実際のところはわからないし、医者に聞いてもわからないか、答えてもらえないだろうけど。

あれこれ患者が聞く質問を煙たがっているように見える医者に不満をもっている。石灰結晶の発生原因を聞いたとき、担当医は曖昧に笑うばかりでしたが、現代医学で原因が解明されていないのなら、それはそれで患者に対して「わからないのです」と言うべきだし、勉強不足や検査不足でわからないのなら、それもそう言うべきだと思う。「患者は黙って医者の言うことを聞いてればいい」というような、適当に患者をあしらうような態度を今度みせたら、詰め寄ってみようと思っている。

石灰質結晶の沈着によってなぜ炎症が起こるのかという質問をしたときも、「白い物質によって炎症が起こったのです」という説明にならない説明しかしてもらえなかった。炎症が、物理的な圧迫によるのか、化学的作用によるのかと聞いたら、そんなことを聞くなとでも言わんばかりの顔をされた。忙しいのかもしれないけど、愛想が悪いにもほどがある。ステロイド注射が「効き目が強い注射である」ということ以外、何であるかについては、聞くことさえ許されない雰囲気。よほどグーグル先生のほうが信頼がおける。グーグル先生なら、ステロイド注射の薬理作用、副作用のみならず、その根本的な研究分野ともいえる「サイトカイン・ネットワーク」についても、いくらでも教えてくれる。

インフォームドコンセント笑止。患者に対して説明しようという姿勢がなさすぎると思う。professionalというのは、もともとラテン語で「pro(向かう)」「fess(話す)」ということで、本来は信任関係にあるクライアントに対して専門知識をもって話すということを指す言葉だったはず。専門知識によって奉仕するべき人々が、専門知識を出し惜しみしてどうする。出し惜しみは、専門知識や技術の欠如と見分けがつかないので、患者としては不安にならざるをえない。

個人的、あるいは立場的プライドから来る、カバーアップの傾向もあるように感じる。世の中には、ひどい医者もいっぱいいると思う。技術的、知識的、能力的差異は絶対にある。そういうものを、曖昧にして、ごまかしておきたいという暗黙的(明示的?)の力学が働いているように感じる。こういうところを個々人の職業倫理や道徳観に任せていると、ロクなことにならないと思う。

病院って不透明すぎるように思う。興味本位の雑誌の特集とかじゃなくて、患者と専門家で作る第三者評価機関を作って病院や医師の評価をパブリックにするのがいいと思う。ひょっとして、すでにそういう組織ってあるのだろうか。と思って検索したら、日本医療機能評価機構(http://jcqhc.or.jp/)というのがあった。機能してるかどうかはわからないけど。比較的厳しい倫理をもとめ、わりとあっさり弁護士資格を剥奪する日弁連のような、そういう自浄作用をもつ業界内組織ってのは、医療の世界にはあるのだろうか?

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2005年09月11日

さんま

バケツをひっくり返したような雨とはよく言うけど、本当にそんな表現がぴったりの夕立。選挙民の出足はどんなだと思いつつ引きこもり。最高裁判事の名前、経歴、目立った裁判の例ぐらいは調べておこうと思いつつも、何もせず。雨が上がったころ、投票へ。

目黒のさんま祭りに青森から5000尾のさんまが贈られたというニュースがテレビで流れた直後、さんまを抱えた妻が帰宅。巨大、といっていいサイズのさんま。プリプリしてて、てらてらと青光りしている。生産者追跡が可能だというので、商品についているIDをsamma.jpで入力してみると、そのさんまを獲ったとおぼしき漁師さんが画面に出てきた。

さんまをつつきつつ、選挙特番テレビ。すごいことになった。

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2005年09月10日

MJF2005

下北へ。2年ぶりぐらい。変わってない。歩いているのは、やっぱり下北ちゃん。1000人中1人も売れないんだろうなという劇団員やバンドキッズたち。街で売られているものは下北グッズ。ファッションも下北なら、食べ物屋も下北っぽさ全開。すごく懐かしい感じ。おいしい広島焼きを食べた。

駒場東大へ。晩夏の夕暮れ、大学のキャンパスというところを歩くのが新鮮な気分だった。ジャグリングサークル「マラバリスタ」の年に1度の発表会、Marabaristas Juggling Festival、通称MJFを見てきた。演者もスタッフも、手作り感いっぱい、一生懸命感いっぱいで、ほほえましい。青臭さがないと言えば嘘になるけど、ジャグリングも、演出も、よくできてる。個人個人が作り込み、それを全体としてショーに作り上げるのって楽しい経験だろうなと、うらやましく思う。

にしても、ジャグリングやりたいなぁ。

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2005年09月09日

PHSなぁ

取材で葛西へ。少し早めに到着したので駅周辺を散策してみた。どこにでもある街だ。

某通信キャリアー系の人にそそのかされて、PHSを捨ててケータイにしてみたくなった。でもなぁ、3Gになった今でもまだ、ケータイはPHSに音質や安定度で劣ると思うんだけどなぁ。音が悪くて途切れるのって、すごいストレスになる。ということすら、もはや一般に理解されないほど世間はケータイ一色になっているのが、どうも悲しい。

あと数年したら都内ではIP端末でskypeとかになってたりして。広域無線LANが来るよなぁ。ケータイなんぞ通話も通信もほぼ無料になるかもね。

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2005年09月08日

人、がおもしろい

某ベンチャー企業の取材で秋葉へ行ったのに、急に先方から連絡が入ってドタキャン。こういうのって珍しい。久しぶりのインタビュー取材で、ちょっとおもしろそうだっだから楽しみにしていたのに残念。

非常に中途半端な時間がぽっかり空いたので秋葉をちょろっと見て回った。駅前で、ゴスロリなコスプレ女にメイド喫茶のティッシュを渡されそうになってショック。ぼくはメイド萌えに見えるのか……、そーなのか。PCオタとアニオタを一緒にするな!

夕方、大手町でウェブ関連アウォードの授賞式を取材。大賞の受賞者は、はてなの近藤さん。誰も文句はないけど、特別おもしろくもないというか……。ウェブのアウォードってむずかしそう。徐々に成功を積み重ねてきた有名サイトを選ぶと「今さら」な感じになる。でも逆に、やや発掘気味のサイトを選んでしまうと、マイナー感が漂ってアウォードのブランド力が落ちる。年に10個も賞を出すことで有名無名をうまく混ぜてるけど、さすがに乱発気味。10人も表彰するとフォーカスがぶれるよなぁ。アクセシビリティ関係でがんばっているIBMの全盲の研究者、浅川さんや、ウェブ広告にブログやポッドキャストを使ったりと、おもしろい試みをしている渡辺さんが入っているのは、とてもいいと思うけど、結局なんのアウォードなんだという感じ。まあ“人”なのか。ウェブ関係でおもしろい人ってことか。

主催が広告関係者で作る業界団体だけあって広告関係っぽい選が多い。それにしても広告関係者って、すぐに内輪っぽいオーラを出すなぁ。そして彼らギョーカイ人は、いつでも世界のチューシンなんだ。関係者挨拶で「今年は前2回に比べて、こういっては失礼かもしれないが有名人がいない」と言い放つのって、いったい(笑)。今回の選について、いい落としどころになったと「自負してる」とか言っちゃうセンスもわからないし、授賞時にいちいち出たがり関係者が交代で10人も出てくるってセンスもついて行けないぞ。しょせんは大手系列メディアとベッタリな旧メディアの人々であることだよなぁ。会場の広告関係者の口からは「関心空間ってナニ?」という声が……。ウェブの動向、ちゃんと見てるんでしょうかねぇ。

元同期入社のクマダが事務局をやってるからという義理もあって、授賞式だけでなくパーティーにも顔を出してみた。肝心の受賞者とあまり話ができなかったけど、いろいろと関係者とおしゃべり。やっぱり人に会って話すのって楽しいなぁ。名刺1枚とICレコーダーをもって取材や対談してまわっていたころが懐かしい。

会場に、最近はやりのホワイトバンドをつけている人がチラホラ。CNNでもやたらCMしてるけど、また増えたか。あれは「主張」を誇示するものだから当然の機能を果たしているとも言えるけど、ホワイトバンドをした人を見ると「あ、そういう人なのね」と0.1秒でクラシファイしてしまっている自分がいる。若い学生のホワイトバンドはまだ苦笑いして見てられるけど、いい大人のホワイトバンドは、みっともないと思うんだよなぁ。ほっとけない恥ずかしさというか。あれじゃ世間知らずを公言して歩くようなもんだ。

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2005年09月06日

病院

朝、病院へ。2時間待って診察は5分。痛みが引いたなら、じょじょに肩を動かしたほうがいいという助言。

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2005年09月04日

プレステ2購入

妻がどうしてもというので、プレステ2を買ってしまった。年明けにプレステ3が出るというのに、今さら……。いや、PSPは、あまりにソフトが少ないので。

プレステ2は2000年3月発売だから、5年もガマンしたのに、ついに負けてしまった。妻がどうしてもほしいというもので……。おもに妻が……。

古い、ベストな感じのソフトを何本か。ぱらっぱー2、鬼武者、トロといっぱい、ぷよぷよフィーバー。古っ。

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モンゴロイドの歩いた道

科学朝日編『モンゴロイドの道』(朝日選書、1995)

同じ筆頭筆者による同じシリーズの本だから、期待してなかったけど、このあいだ読んだ散漫な印象のネアンデルタール本に比べると、はるかによくまとまっていて読みやすい。スゴイおもしろい。同じ複数研究者によるオムニバス形式でも、もともと科学朝日の連載だったからというのもあるだろうし、プロの編集者が全体の流れをとりまとめているからというのもあるのか、いい本になっている。

モンゴロイドのほうが題材として身近だからかもしれない。ヨーロッパの地でクロマニヨン人に取ってかわられ、どこかに消え去ってしまったネアンデルタール人よりも、アジアから太平洋や南北アメリカ大陸へと広がった、日本人の直系の祖先とも言える先史モンゴロイドの歴史のほうが親近感がわく。ちょうど、南米のインディオを見て「日本人にもあんな顔した人いるよなぁ」と思うときに感じる親近感のようなもの。

シベリアからベーリング陸橋を超えて北米から南米大陸へと駆け抜けた“グレートジャーニー”だとか、メラネシアからポリネシアへ向けて「広がった」という話は聞いたことがあるけど、いつ、なぜ、どうやってという話となると、よく知らなかった。なんで、たった1000年でアラスカから南米の突端まで駆け抜けられたのか。何が彼らを駆り立てたのか。なんで島影も見えないような遠くの島へ島へとわたっていったのか……。そうしたギモンに完全に答えるはできないけど、遺伝学、免疫学、人類学、言語学の知見から、さまざまな研究者が彼らの行動の軌跡や理由、方法を推定している。

遺伝子的にいっても文化的にいっても「日本人は単一民族じゃない」という発言は、もう聞き飽きたし、そういうとき念頭にあるのはせいぜいアイヌ民族と琉球王朝ぐらいのことだろうと思うと、ますますそうなんだけど、ハッキリと証拠を示されたうえで「日本人の祖先の経路には、少なくともN通りの経路があった」と繰り返し言われると、日本人観もちょっとは変わろうってもんだ。

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2005年09月03日

前田のクラッカーを発見

近所の100円ショップで「あたり前田のクラッカー」を発見した。本物を見たのは初めてだし、そもそも存在しているものだと思っていなかったので驚いた。ぼくぐらいの世代だと「あたり前田のクラッカー」はフレーズとして耳に残ってはいても、それがいったいどこから出てきたものなのかは知らない(というと、きっと50代以上の人は驚くに違いないし、20代の人はサッパリ話が見えてこないんだろう)。

「あたり前田のクラッカー」は伝説のテレビ番組、てなもんや三度笠で藤田まことが言った決めぜりふらしい。流行語の誕生秘話と、その後の前田製菓の行く末について詳しくは、ここをどうぞ。で、前田製菓のホームページは、atarimaeda.com。大阪堺市にある本社ビルの写真は、このページにあります。


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2005年09月02日

Overheard in NY

Overheard in New York(http://www.overheardinnewyork.com/)というサイトがおもしろい。地下鉄、公園、通り、バー、オフィスなど、ニューヨークの街角で小耳に挟んだ会話を、ただただ文字にして掲載しているだけなんだけど、思わず吹き出してしまうものがいっぱい。ギャルや浮浪者あたりの会話が特におもしろい。とぼけたお馬鹿な発言があるかと思えば、まるで哲学者の箴言のように意味深長な暴言を吐く浮浪者がいたりする。そしてニューヨーカーは男も女も言うこともやることもエロくてエグい。エグいのだけど、ウィットが効いてて笑えるものが多い。ネタっぽいのもあるけど、まあニューヨーカーってこんな感じだなっていうリアルさがある。NYって、だいたいいつも誰かが叫んでるんだよな。地下鉄だろうと通りだろうと。

これと同じことを東京版でできないかなぁと、ふと思った。すれ違いざまとか、電車の中とか、エレベーターの中なんかで、思わずガックリくるような平和な会話を耳にすることがある。そういうのを、複数の投稿者で書き留めるだけのサイト。

東京版ができないかなと思いついたのは、この間の日曜日に耳にした会話がきっかけ。目黒雅叙園に遊びに行った帰り、雅叙園から目黒駅へ向かう送迎バスの中でのこと。後ろに座った女子高生とおぼしき二人組の1人が、目を輝かせて恥ずかしげもなく叫んだ。

ギャル#1:すっごーい、あのガソリンスタンドに止まってるクルマ、全部高級車じゃん!

(目黒区、雅叙園から目黒駅へ向かう送迎バスの中にて)

隣にいた妻と思わず顔を見合わせた。どこの田舎から出てきたら、そうも素朴になれるんだろうか、と。

確かに目黒区は意外に高額所得者の居住地域っぽいところがあって、高級外車が目立つんだけど、それでもそのときガソリンスタンドに停車していたクルマといっても、6台中4台がBMWとベンツという程度。東京じゃ、別に珍しくもない。むしろ1台、足立区ナンバーじゃないかと思われるファミリーでアエロパーツバリバリな田舎ヤンキー仕様のRVがあったのが気になるぐらい。

と、こういう文脈の解説をすると都会人のスノビッシュな態度丸出しでイヤらしいんだけど、Overheard in NYというサイトは、「会話をそのまま出すだけで一切解説もコメントもしない」というスタンスを貫くことで、うまくそういう下品さを打ち消している。

たとえば、ユニオン・スクエア駅のチケット売り場で「○○まで片道切符を」と頼む「旅行者」の言葉が一文だけ引用される。何でもない引用だけど、そこには「いったいいつの時代のどこの田舎の旅行者が“片道”なんて言うんだよ、オイ(笑)」という都会人の笑いがある。実際にその会話を小耳に挟んだときには、きっと笑いもしないし、ふつうは5秒で忘れるようなことなんだろうけど、こういうのを集めてみるとおもしろい。

うーん……。東京はまともな人だらけだから駄目かな。何となく大阪版ならできそうな気がしてきた。大阪のおばちゃんとか、正味の本音をズバーンと言うことがあって、ほんまにおもろいときあるしなぁ。

投稿者 ken : 22:51 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月01日

肩のくぼみ

シャワーを浴びているとき鏡を見て驚いた。肩が大きく窪んで変形してる! ついに外見上わかるほど悪化したかッ! はっと首を巡らせて反対側の肩を見たら、なんと、まったく同じように窪んでいた!

むーっ、最初から両方とも凹んでいたんなら、そう言ってよねー。案外肩の形って見慣れてないんだな。

しかし、ここ2日ほど楽になったなあ。地下鉄の券売機から切符を抜こうとして手が届かず、思わず空を切ったようなときに、やっぱり肩に激痛が走ったりするんだけど、何もしていなければ、ほとんど痛くないというぐらいにまで回復した。

投稿者 ken : 23:10 | コメント (2) | トラックバック

イチロー語録

夢をつかむイチロー262のメッセージ編集委員会『イチロー 262のメッセージ』(ぴあ、2005)

イチローが折々のインタビューに答えた言葉をまとめた本。イチローってストイックというより理屈っぽいのね。どっちかいうと寡黙なほうだからわからないだけで、内面的にはものすごく言葉数の多い人なんだ。凡打の理由を、ああだ、こうだと論理的に考えている。センスだとか感性だとかいった曖昧で無意味な言葉を排して、練習に明け暮れ、思考を貫くというところに共感できる。考えて考えて積み重ねていく以外に、スキルアップの道はない。

投稿者 ken : 23:10 | コメント (0) | トラックバック

アセンブラ読本

橋本和明、leye『アセンブラ読本 for Game――ゼロからはじめるゲーム改造』(アスペクト、2005)

アセンブラというのは、機械語とかマシン語とも呼ばれる、CPUが直接読み取って実行する数字列に対応するプログラミング言語のこと。言語というより、CPUの生の命令体系といったほうが近い。アセンブラと聞くと、いまだにワクワクして鳥肌が立つ。CだのC++だのが実用上いいのはわかるし、JavaもRubyもC#もいいんだけど、やっぱり「Lispか、しからずんばアセンブラだ」っていうようなハッカーが断然カッコイイと思う。

20年以上も前の小学生のころ、NECの8ビットマイコン、PC-8801を親に買ってもらった。で、88で大ブームになった『ドアドア』とか『アルフォス』いったゲームをディスアセンブルしてデータを改造したことを思い出した。3機しかない自機の数を255機に増やしたりするんだけど、何をするかといえば、データエリアに書かれた「00 fa 03 cc」といった文字の羅列から「3機」を意味する「03」の場所を見つけて、そこを書き換えるだけ。カンが外れればプログラムは暴走し、うまくいけば自機は増える。

どんなプログラムでも初期化の場面で、必ずデータエリアから初期値を読み出してデータをセットするので、頭のほうからプログラムを読み流していくと、それらしきルーチンに、それらしきLDとかMOV命令が見つかって、それが参照しているアドレスを探っていく、というようなことをやった記憶がある。経験とともに、16進数の数字の羅列でしかないダンプリストをみているだけで、だいたい何をやっているか、単なるデータエリアなのかという区別もつくようになってくる。簡単な定型的処理や、よく呼び出されるシステムコールやIOポートであれば、ディスアセンブルすることなく、「ははぁ、キー入力を判定して画面に何か描いてるな」というように、いきなり数字を読み下せるようになってくる。F3C8というVRAMの開始アドレスを20年以上経ったいまも、なぜか覚えていたりする。

そういうのと、やってることは、いまでもまったく同じらしい。違いは、データ解析用のツールがそろっていることと、CPUがZ80かx86かの違い。x86といっても、命令セットは8086に毛が生えたようなものだし、変わらない。

しかし、この本、アセンブラ読本と銘打ってるのに、160ページ目になってようやくpushとpopの解説が出てくるって、どういうことだ(笑)

投稿者 ken : 23:09 | コメント (0) | トラックバック