« 2006年01月 | メイン | 2006年03月 »

2006年02月28日

日本の詩歌

大岡信『日本の詩歌』(1995)

1995年に講談社から出た本で、10年経って岩波の文庫になった。1994年と翌95年にフランスのコレージュ・ド・フランスでフランス人向けに行なった5回分の講義をまとめたもの。コレージュ・ド・フランスってエコール・ノルマルやポリテクニークと同じで、ふうつに授業料を払って通う大学かと思っていたけど、そうじゃないらしい。国家元首に直接使命された各界の研究者が、単位や卒業資格などと関係なく集まった聴衆に向かって思う存分講義をするというところ。フランスの知性を代表する名だたる学者たちが講義をしてきたそうだ。

ともあれ、岩波にハズレなし。すばらしくおもしろい。著者自身が外国人にも出来る限りわかりやすいよう明晰に原稿を書いたというとおり、本当に分かりやすい。

和歌がまだ日の目を見ない時代に、立派な漢詩を書いた天才詩人にして政治家の菅原道真から説き起こし、紀貫之による初めての勅撰和歌集の成立背景と歴史的意味、その本質を語り、続いてなぜ日本にはかくも一流の女性歌人が多く排出し、彼女らはほとんど哲学的とも言えるほど恋愛感情から昇華された自己省察を歌に残すほどの洗練にいたったかを説く。さらに、日本で多く詠まれた叙景の歌で、西洋的基準からすれば主観の欠如とも言うべき現象をあげ、そこに日本の近代詩歌や散文だけにとどまらない日本人の表現意識全体の特徴を指摘する。最後に『梁塵秘抄』や『閑吟集』といった中世に編纂された歌謡集の魅力を説く。「和歌が、その優美さの伝統ゆえに覆いかくすことを余儀なくされた性的なるもの、露骨に生活に密着したものを、ごく平然とよび起こし、それらを洗練された機知と人間観察の微笑にくるんで、私たちの世紀にまで送り届けてくれた」のが、遊女や庶民が当時うたったという歌謡の数々。

引用される詩歌の数は少ないけど、説明の論理展開にキッチリ収まりつつ、それ自体としても味わい深いものばかり。

大岡信って、いつの間にか75歳という高齢だったのか。朝日の1面で連載していた(今でもやってるのか?)「折々のうた」、まとめて読んでみようかという気になった。

投稿者 ken : 23:20 | コメント (0) | トラックバック

新しい物性物理

伊達宗行『新しい物性物理』(講談社、2005)

ブルーバックス。ちょっと期待はずれ。「身の回りにある数百万種の物質を統一的に理解する物性物理の最前線」と帯にあるのは大げさ。物性物理をさらっと概観しつつ、最前線のトピックをランダムに拾ってぐちゃぐちゃっと書き上げた本という印象。おもしろいトピックも多数あるけど、まとまりがない。数珠のように一次元的に説明を積み重ねている印象がある。前後への参照も多くて読みづらい。想定している知識レベルが高いのか低いのかよくわからない。前提知識を不要とするような説明をしたかと思えば、急に「説明は本書のレベルを超えるので省く」的な言い回しが出てきて、なんだか、ちょっと不親切な感じ。

驚いたこと。

磁性体の話がえらく難しくて、スピンの話について行けない……。

投稿者 ken : 23:15 | コメント (1) | トラックバック

2006年02月25日

水天宮

水天宮へ。翌日が大安の戌の日で、安産祈願のお参りはピークが予想される。今日は仏滅。こんな日にお参りするのは、ぼくらのような「そんなん関係あらへんで」という脳天気な夫婦か、よほどのバカかのどちらか。

suitengu.jpg

信心がないなら、そもそもお参りなんてしなくていいわけだけど、子の健康や無事な生誕を祈る親の気持ちというのを受け止める「何か」というのはあっていい。水天宮はそれを果たしている。水天宮の発祥は700年前にさかのぼるらしい。壇ノ浦で源氏に破れた平家側の誰それを祀ったのが最初なんだとか。700年の間に、いったいどれだけの人々がお参りしてきたんだろうか。という歴史はあるにせよ、ほんのちょっとの祝詞で3000円はやっぱり高い。義母のことがなければ、たぶんお参りなんてしていない。まあ、文化財を守るための寄付のようなものか。

人形焼で有名という重盛で「ゼイタク煎餅」などを購入。義母がわんさか買って、わんさか発送していた。煎餅や人形焼が、これまた驚くほど高い、強気の価格設定。それでも文字通り飛ぶように売れている。

shigemori.jpg

軍鶏料理で知られる「玉ひで」へ。創業1760年で8代目なんだとか。鶏刺し、鍋、親子丼と、どれもなかなか。この手のお店で「もう食えない」というほどの量が出ることは珍しい。飴色になるまで炊いた皮がうまい。卵と鶏肉しか入ってない親子丼も、どうやっているのかわからないけど、卵がご飯にうまくふっくらと絡んで絶品。何代目かのおかみさんが、あるとき鳥鍋に卵を落としたのが、そもそもの親子丼のはじまりなんだと給仕の人が説明してくれた。でも、まさか親子丼という残酷な名前はその女将さんがつけたわけじゃないですよねといったら、「さあ、どうでしょうね」と笑っていた。

torinabe.jpg

oyakodon.jpg

義兄のクルマで日本橋に移動。オープンしたてのマンダリンオリエンタルホテルへ。汐留のコンラッド、六本木のグランドハイアットと並ぶ、新々御三家の1つ。東京はホテル戦争が激しい。そして、どれもやたらと中が暗くて豪華だ。最上階のラウンジでお茶。夜景がキレイだった。おしっこが夜空に飛んでいきそうな男子トイレからの夜景もなかなかオツなものだった。

mandarintop.jpg

mandarinrr.jpg

投稿者 ken : 23:01 | コメント (6) | トラックバック

2006年02月24日

学生ベンチャー

学生ベンチャーの代表が来社してプレゼン。採算分岐点のことを尋ねたら、やや口ごもったりして、ビジネスマンとして見ると、少し頼りない感じだけど、大学4年生としてみると信じられないぐらいシッカリしている。今どきの学生さんはすごい。統計上の数字として、ベンチャーが増えているとは聞いていたけど、実例を見ると実感がわく。

ターゲット層の生活スタイルを変えて食い込むというんだから、たいした度胸だ。「電車のなかでボーッとしている人が多い。あるいは運動している人の頭は動いていない。そこに向かって音のコンテンツを出していきたい」という話。確かに消費者の行動様式が変わって大成功するかもしれないけど、行動様式が変わると確信する起業家の信念というのは、たいてい根拠がない。それでも絶対みんな使ってくれて喜んでくれるはずと信じてやる。

若くて思慮が浅いぶん思い切ったことができるのか……。

一方、こういうとき、たいした思慮もなくネガティブな意見しか言わない人間も多い。企業の中堅には特に多い。それは会議で新しい企画が出たとき、「そんなのうまく行きませんよ」と言っておけば、賢くみえるからだったりする。実際ほとんどの新アイデアや挑戦は失敗に終わる。8割が失敗に終わるんだから、「うまくいきませんよ」と言った人間は「ほらね」と言うばかり。でも、そんなチキン野郎の言うことばかり聞いていたら、既存のビジネスがシュリンクするにつれて会社は活力を失っていく。成功したビジネスの多くは、最初みんなが懐疑的だったものであることも多いはず。

一生懸命な学生ベンチャーのプレゼンを聞いていたうちの1人が、さもめんどくさそう、忙しそうに、「じゃ、こんなところで今日の話は……」と、その場を閉じようとしたことに、ぼくはムッとしたりする。忙しいのは何もアナタだけじゃないし、5分や10分、若い人の新しい話を聞けないようなオトナってつまんない。正直、ぼくも音コンテンツビジネスの前途は多難だなと思ったけど、むしろアイデアは順当だし、立ち上げのタイミングとしてはすごくいい。可能性もないわけじゃない。

バタバタと会議室を出て行く人たちに、深々と頭を下げて「よろしくお願いいたします」と言う学生さん。こういう人に、がんばってほしいなと思った。

投稿者 ken : 23:31 | コメント (1) | トラックバック

2006年02月23日

ナノテク

ナノテク展で2日連続で東京ビックサイトへ。技術系の記者といっても、コンピュータやネットワークばかり見ているので、加工技術や材料工学っぽい話は疎い。工業新聞系にもほとんど目を通していない。最近はCPUの内部処理とか無線通信の物理レイヤーの話といった低レベルのことよりも、アプリケーションやサービスのレイヤーが断然おもしろいので、物理的な世界はちょっとご無沙汰。

そんなこともあって、ナノテク展は、ものすごく新鮮な刺激に満ちていた。どのブースで説明を聞いても、オドロキと感動の連続。人間の知恵と技術の進歩って、本当にスゴイなと思った。物理学科出身の血が、ちょっと騒ぐ。

いちばん驚いたのは、カーボンナノチューブの先端にダイヤモンドを結晶させるという話。カーボンナノチューブは筒の内部に電子を通すと、カッパーなんか比較にならないほど伝導率の高い導線となる。金属中の自由電子が飛び回るのと違って、炭素原子に周囲から閉じこめられるようにして、筒のなかの中空部分をドドドッと電子が文字通り流れるというイメージらしい。立体的な多層回路をもつLSIでの、層間をつなぐ部分や、マルチコアCPUのコア間通信の部分に応用すれば、一気に消費電力や発熱量を下げられるという。ただ、カーボンナノチューブをシリコン基板に定着したり、あるいは発光ダイオードに使おうとすると、いろいろまだ困難があって研究中だという話。発光ダイオードとして使うと、耐久性が問題になる。それが、先端にダイヤモンドを結晶させることで回避できるようになりつつあるという。メタンガスを吹き付けてなんちゃらかんちゃらすると、チューブの端に、確かにダイヤモンド様の炭素の多結晶が析出するらしい。

基板上にカーボンナノチューブを、貝割れ大根のように成長させる技術というのもすごい。金属を成形するより、はるかに微細な構造を作れる。携帯の基地局で発生する高い周波数の電波を扱うとき、その発熱を逃がすのに、そうして作られたカーボンナノチューブによるナノレベルの冷却フィンが使われているらしい。

さらに驚いたのが、DNAを計算回路に使う話。いわゆるDNAコンピュータは、人工的に合成したDNAを試験管のなかで混ぜて、その反応そのものを計算に使おうという発想だと思っていたけど、そういう話じゃない。でも、大阪大学の川野研究室がやっているのは、基板上にDNAを結晶させて、そこで自己組織化したDNAのネットワークを、計算回路そのものにしてしまおうという、ウルトラフューチャリスティックな研究。DNA上の塩基をうまく揃えたり接続することで、基本論理素子が構成できるとか。いまのところ、「基板上にDNAの網の目ができた」という段階で、まだどうやってパターンを作るかというところまで話は進んでいないというけれども、アイデア自体は、本当に21世紀的だ。

それにしても50行程度では、何も書くことができない。

投稿者 ken : 23:28 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月21日

現代ベトナム入門

松尾康憲『現代ベトナム入門――ドイモイが国を変えた』(日中出版、2005)

共同通信前ハノイ支局長によるベトナム入門。「ベトナム取材雑感」に、ベトナム史を少し加えたという体裁。古くは中国、のちにフランス、アメリカ、日本といった帝国主義国家からの侵略にさらされ続けた歴史から説き起こし、80年代後半に本格化した「ドイモイ(刷新)」の開放路線による経済復興までをまとめている。入門というには雑多で細かな情報が多すぎるために、ややまとまりに欠ける感じ。どちらかというと時事ネタブログみたいだし、どうも著者がジャーナリストだから当然と言えば当然だけど、報道の自由や情報公開に関するスキャンダル話なんかが多い。そういうところで冗漫さは感じたけど、自分で見聞きした体験を語る人の言葉って、おもしろい。外国人として初めて仏教寺院に「ラオスから来た僧侶」ということで入り込んで剃髪までしちゃうような、行動力のある人。

追記:はじめ時事通信と書いたのは誤りでした。松尾氏は共同通信前ハノイ支局長でいらっしゃいました。著者ご本人からご指摘をいただきました。大変失礼しました。(3/4)

好悪も含め、対象に対する思い入れが行間から見えてくる。ことあるごとに中国と「小中華」とも言えるベトナムを比較し、むしろベトナムを擁護することが多い。おもに西洋人で構成される国境なき記者団の、東洋に対する無知と偏見を指摘しているけど、そう言ってる松尾さんは、ややもするとベトナムびいきに過ぎる嫌いがあるように思われる。そのぐらいでちょうどいいとは思うけど。

「社会主義市場経済」という形容矛盾的な開放市場政策の、行きつ戻りつの動向が興味深い。徐々に市場を開放しつつあるかと思えば、鶴の一声的に海外からの投資熱を一気に冷ますような暴挙に出てみたり、国営企業は国「有」企業へと改名したものの、相変わらず赤字を垂れ流していたり。

国の統治体制のあり方について孫文の『建国大綱』から「軍政、訓政、憲政」という政治的進化の3段階を引いてきて、いまのベトナムは訓政期じゃないかと指摘している。中国は天安門事件を見れば分かるとおり、軍政期。で、孫文はもちろん社会主義国家建設のことを言ってるのだろうけど、この区分は必ずしも社会主義国だけに当てはまるものじゃない。たとえば韓国は、独裁色の強い大統領による長期間の訓政を終えて、いまようやく憲政期にさしかかりつつある。あるいは、戦後日本が歩んだ道も、これに当てはめてみることができるのではという。GHQ支配下の日本は「軍政」と言えるだろうし、戦後の少数のエリート官僚と国策による産業育成は「訓政」と言える。今ようやく憲政期に入らんとするも民主主義に必要とされる諸条件が未熟じゃないのかというのが、今の日本。建前上は1952年の占領統治終了時に憲政は始まっていることになっているけど。

お隣カンボジアのクメール・ルージュやソ連や東欧の崩壊とその後、あるいはかつての同胞キューバの孤立といった共産主義国家の失敗や悲惨な歴史を見てきたベトナム指導者たちの間には、革命的な急激な社会変革が多くの人間を不幸にするのだという認識があって、段階的に資本主義的な政策も取り入れるし、情報公開も進めているんだという。

投稿者 ken : 23:42 | コメント (3) | トラックバック

2006年02月20日

ゲバラ映画

ウォルター・サレス監督『モーターサイクル・ダイアリーズ』(英米合作、2004)

とぎれとぎれで本を読むのは、まったく苦痛じゃないけど、PCでちょびちょびと映画を観るのは結構きついなと思った。最後は結局まとめて1時間ぐらい見た。

1951年、23歳で友人と2人でおんぼろバイクにまたがって南米大陸縦断の旅に出た若き日のゲバラを描くロードムービー。どこまで史実に基づいているのか、そのへんの背景情報がよくわからないけど、爽やかな映画だった。

この冒険旅行は、その後、ゲバラをキューバやボリビア、果てはアフリカにまで駆り立てるキッカケともなったという話だから、政治的な覚醒に関して暗示的なシーンが随所に登場する。搾取にあえぐ原住民、国を追われた善良な共産主義者夫婦、ハンセン病で隔離される療養所の人々など、社会的に抑圧された人々と交流する場面場面で、ゲバラの瞳には哀愁の蔭がさす。マチュピチュの遺跡を前に言葉を失うゲバラは、「どうしてこれだけのものを築いた文明が、あの文明に滅ぼされなければならなかったのか」と南米人としてのアイデンティティの目覚めらしき言葉を発する。

といって、そういうシーンがうっとおしいほど出てくるわけでもなく、全体を通して描かれているのは、ゲバラ青年の情熱、他者にまっすぐに向き合う真摯さ、無鉄砲さ、若さゆえの世の中に対する素直な懐疑といったもの。後に世界中の左翼から偶像的に崇拝されることになる革命家というには、あまりにも普通の青年という感じ。むしろそれだからこそリアリティがあったりして。「情熱的に美女を愛した」と言えば聞こえはいいけど、まあ、若い頃から女たらしだったんじゃないのかと思うわけで、そのへん、ちょっと美化しすぎじゃないかと勘ぐってしまった。だいたい役者が実物よりも今風の二枚目だし。

風景がどれも美しく、画面の構図がいい。広大な草原、雪を頂くアンデスの山々や遺跡、霧に煙るアマゾン、広漠とした砂漠。土煙を上げながらバイクで走り抜けたり、てくてく歩いたり、ヒッチハイクしたり、筏で川を下ったり。

ジャック・ベルク『コーランの新しい読み方』(晶文社、2005)

コーランの仏訳で知られるというアルジェリア生まれのフランス人、ジャック・ベルクが、おもにキリスト教徒のフランス人を前に語ったコーラン入門。自分自身はムスリムじゃないと明言しつつも、コーランへの強い思い入れが感じられるけっこう熱い語り口。概説のような入門を期待して読んだけど、ちょっと違った。阿刀田高のエッセイのほうが、マシだったかも……。

繰り返しや重複の多い文書構造をどう捉えるべきだとか、時間を越えた神の啓示がコーランを通して、どういうふうに人間世界の時間と関係してくるのかといった、抽象的で分析的な議論が多い。もっともわかりやすくて、なるほどそうなってるのかと思ったのは、コーランとイスラム的なものの関係。イスラム法というのは、てっきり大要はコーランに書かれているものなんだと思っていたけど、そういうものではないらしい。コーランに書かれた寓話や教えから、具体的な社会の法を導き出して議論するのはイスラム法学者の仕事で、それが膨大な文献となって蓄積されているということ。しかし、例外を除いて「金を貸しても利息を取ったらいかん」というような教えの元、どうやったら証券取引法とか整備できるんだろうか。そんな問題じゃないか。

コーラン、イマイチ読む気がしない。

投稿者 ken : 11:29 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月15日

コトの本質

丸激トーク・オンデマンドが、相変わらずおもしろい。ライブドア問題の総括が大変によい。各国での証券市場の使いこなしと失敗の歴史や、そもそもの証券市場の存立要件、社会ごとに異なる法システムと運用形態の関係なんかを、ちゃんと見通しのいいパースペクティブに置いてみせてくれる希有な解説。錬金術にまつわる枝葉末節の技術論はビジネス誌に任せます、と言い切る姿勢がいい。そうそう、知りたいのはコトの本質なんですよ。聞きたいのは学問的蓄積の上に繰り広げる本質的な議論であって、にわか勉強した記者やプロデューサーがやっとこ書いた原稿なんかじゃないし、まして似非アカデミシャンの世論におもねるような意見なんかでもない。

投稿者 ken : 23:39 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月14日

藤原氏

とうとう文藝春秋までもが藤原正彦の恥ずかしい文章を載せた。商業主義もいいけど、ブランドを傷つけるようなことは、やめておけばいいのに。ニッパチで売上が落ちる時期かもしれないけど、そのための芥川賞全文掲載じゃなかったのか。

養老さんに続いて、藤原さんまでもが、恥ずかしい道を歩み始めたように見える。これじゃあ理系の研究者がますます世間知らずだとバカにされるだけだと思う。藤原さんのエッセイ、好きだったのになぁ。国家や文明のことなんか、人前で論じるだけの力量がないんだから、論じなければいいのに。こういう善良な人々を踊らせる出版界、メディア界って、罪だよなと思う。

投稿者 ken : 23:25 | コメント (3) | トラックバック

2006年02月12日

グラッパボンボン

ザ・トーキョー・レストランへ。バレンタイン特別おまかせメニューをオーダー。ハマグリで作るボンゴレ・ビアンコも、鱈と白子にパン粉をまぶした香草焼きも、イベリコ豚もうまかった。チョコにグラッパを入れたという“グラッパボンボン”もスイート。ウィスキーのような辛さがなく、濃厚な大人の味。チョコにはワインやグラッパのほうが合うのかも。

grappabonbon.jpg

投稿者 ken : 23:07 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月10日

上品さ

ソフトバンクの決算説明会。業績がいい。過去にはいろいろ言われたけど、ホリエモンという「下の下」の比較対象があるから、得している部分もあるかも。下品で、教養がなく、バカなホリエモンと比べれば、たいていの経営者は人格者に見える。「法的コンプライアンスも企業統治も、どの口が言ってるんだよ、笑止」という皮肉な見方もあるけど、まあ真面目にやってて、業績も会社も良くなってるんだなという印象。人が変わろう、良くなろうとしているのに、それを鼻で笑うのは人間として最低の、下品な行為だと思う。記者会見で隣に座った小キタナイ人間が鼻で笑っているので、そのことに対してムカムカした。「あのソフトバンクがねぇ」と皮肉るのは、じつに品のないジョークだ。欠陥や失敗や悪意や未熟さや、そんなものは世の中に溢れている。それにどう臨むかを見ようじゃないか。

孫さんの口調が非常に上品で丁寧なのに驚いた。そういえば生で見たのは初めてだった。計算された「社長口調」で、実はウラではやくざばりの怒声を飛ばしまくってる可能性もあるけど、少なくとも、とてもマットーな大人のビジネスマンという印象を与えることに成功している。社長の大事な仕事だ。質問にも非常に真摯に、歯切れ良く答える。技術のこともよく勉強してるし、まじめなんだな。まじめに世の中を良くしようとか、技術をあるべき姿で普及させようとか、人々を幸せにしようとか、自分たちはそのことによってワクワクしようとか、そういうことを考えている。当たり前の企業人だけど、そういう純朴さと、ビジネス上のしたたかさを兼ね備えた人材って、IT業界には希有なんじゃないだろうか。

孫さんの上品さに打たれたからじゃないけど、ぼくも最近は上品になりたいと思うようになった。態度や口調といった外堀から埋めてみようか。外壁のほころびを取り繕っているあいだに、中身なんて何とかなるもんだ、きっと。

投稿者 ken : 23:50 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月06日

百年百昔

日本経済新聞社編『ソニーとSONY』(2005)

出井社長が舵を取った10年を中心に前後のソニー浮沈を描いたドキュメント。あ、浮沈じゃなくて、ソニーの呻吟についてだった。どういう取材をしたら、これほど細かなコメントや嘆息、ぽろりと身内にこぼしたような発言まで拾えるんだろうか。しっかりした構成と関係者の発言の引用、さすが経済新聞社。創業者OBや社外取締役たちも含めた、パワーゲームの微妙なアヤを、うまーく描き出している。特に深みがあるわけでもないけど、ビジネス書、かくあるべしといいたくなるような本だった。それにしてもソニーって興味深い会社だ。もう少しソニーの歴史を知りたくなった。

森鴎外『ヰタ・セクスアリス』(1909)

約100年前に書かれた文豪による性遍歴自伝。アンドレ・ジイドみたいに5歳でオナニーを覚えたとか、はじめて他人の男色シーンを目撃したときに吐き気がしたとか、そういうインパクトのある話を期待していたわけではないけど、それにしても、あまりにも平坦というか、イベント性に乏しい性の目覚めだったようで、実にツマラナイ。あたかもその性への淡泊さが、自らの理性の徳でであるかのように自慢げに、しかも架空の物語として書くあたりが実に嫌らしい。これで、出版当時、公序良俗に反するとかで発禁処分になったというから、本当に隔世の感がある。100年100昔ぐらいだ。

投稿者 ken : 23:33 | コメント (3) | トラックバック