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2006年06月23日
乃木希典
福田和也『乃木希典』(文藝春秋、2004)
乃木評伝。「乃木は無能」というレッテルを貼られたまま、あまり評価されてこなかった乃木を積極的に評価している。しかし、ロマンチシズムに引きずられて持ち上げすぎ。文章は情緒的だし、データや史実にもとづく考証もない。福田和也の書く文章のファンだったけど、もういいよ、文芸は、と思った。美麗で琴線に触れるような文章も多いけど、悪くいえば、お手盛りの書き流し。
福田は「児玉源太郎は現代日本にいくらでもいる。乃木希典がいないことが、今の日本が低迷している要因ではないか」と書く。有能な人物、驚くほど頭のいい人というのは日本にいくらでもいる。ところが、有徳の人、その人のためなら命を捨ててもいいと思わせるようなカリスマや高貴さをもつ人物はいない。立派な人物がいない。乃木は有徳であるということではなく、そうあろうとした、その狂気じみた試みによって賞賛されるべきだという。そういうのって、言わんとすることはわかるけど、そういう情緒的な感慨を1冊の本にされてもなぁ。文学的に昇華されてるでもなし、中途ハンパだ。
2006年06月22日
トマトは果物だった……
飯を食いに外出。時間に余裕があったので、会社からやや離れた飯田橋方面を散策。裏通りには中華とインド料理がやけに多いことを発見。
何となくイケそうと思って入ったラーメン屋がはずれ。チャーシューはうまかったけど、麺もスープも、あまりにも昔の中華料理屋という感じ。期待が裏切られると、何か物足りなく感じる。気づいたら、ほっかほっか亭で鳥めし弁当を注文していた。たまに満腹中枢が壊れて食欲が爆発する。
ほっかほっか亭の弁当をくるむ紙袋には、トマトに関する豆知識が印刷されていた。また江戸時代に何チャラとか栄養がどうだとか、新品種はどうとか、そんなことだろうと思ってたいして興味を引かれなかったけど、ふと小さな囲みをみると「“野菜か果物か”を裁判で争った過去も」という短い文言が。
それは聞いたことがない。
さっそくグーグル。ずばり、裁判というのは“Nix v. Hedden”のことらしい。1893年の米連邦最高裁の判決で「トマトは野菜である」と決着がついている。1887年に果物に関税をかける法案が可決されて、あわてて「トマトは果物だからね」と訴えたのがNix一家らしい。
しかし一方、植物学者たちは分類学的には「トマトは果物の1種である」と結論づけている(Wikipedia:tomato)。植物学的には果物と見なすべきだけれども、一般家庭での調理法から見れば確実に野菜ということで、最高裁は訴えを棄却したとか。
トマトだけが境界線上にあるわけではなくて、ドングリ、アーモンド、キュウリも微妙な奴らだ。植物学者たちは、こいつらを果物だと言って恥じない。人をバカにするにもほどがある。
長年の煩悶が前触れもなく終わった。トマトは果物だったのだ……。しかし、そんなバカなことを主張するやつのフルーツパフェにはトマトだけじゃなく、ドングリとキュウリも入れてやれ。あ、アーモンドは最初から入ってるか。
だんぜん最高裁判決を支持する。
こういうとき、得意気に「トマトは学問的分類では果物だ」と言って、そのトリビアな、あまりにもトリビアルな知識のために常識的なやり方を認めないタイプの人間がいる。そういう人々を「トマト果物論者」と呼ぶことにしよう。
2006年06月16日
Icon---Steve Jobs, The Greatest Second Act In The History Of Business
スティーブ・ジョブズの評伝、“Icon---Steve Jobs, The Greatest Second Act In The History Of Business, Jeffrey S. Young, William L. Simon”を読んだ。おもしろい。
AppleⅡによるコンピュータ業界での成功にはじまり、映画業界、音楽業界と、3つの業界で、業界のあり方を根底から変えるような華々しい成功を収めた男でありがなら、一方で自分がもっとも愛した会社を追放され、NeXTとPixarという2つの会社が収入を生み出さずに辛酸をなめるような波乱に満ちた人生だから、そのこと自体だけでも十分におもしろい。そのストーリーに、生々しい個々のプレーヤーの発言や行動が肉付けされて、読み応えのある本になっている。彼を取り巻く才能や個性の数々とジョブズの共感、葛藤、反目、離反が、多数のインタビューやメモを引用しながら良く描かれている。
他人の意見をまったく聞かず、圧倒的な発言力と影響力で会社もプロジェクトも私物化化し、専横の限りを尽くしたような男が、紆余曲折の末に50歳にしてチームワークや家族の価値を何よりも大切に感じるようになった。かつては、技術こそが世界を変えると信じ、自分こそが技術やデザインをもっとも理解する人間であることを疑わない独善的な男で、自分の娘に見向きもせず、はらませた母親もろともうっちゃっていたようなやつが、「技術は何も変えやしない」と確信とともに語る家族的な男に変貌する。人生は、子どもをもつことで変わるという。
この変貌ぶりこそが、この本の浪花節的ポイントに違いない。ところが、その変貌を端的に示すジョブズ本人のプレゼンテーションでの発言が、なんと翻訳本では、とてつもない誤訳となっていて驚いた。
ぼくも、あと1ヵ月で父親になる。妻がちょうど翻訳書で同じ本を買ってきて読み始めたところだったので、ややネタバレ的ではあると思ったけど、「子どもができると人間は変わるんだよ、きっと」ということを妻に言うために、クライマックスの発言部分を翻訳書のほうでパラパラと開いて、探してみた。
新製品紹介のプレゼンテーションを終えたジョブズは、翻訳書では、こう発言したことになっている。
「懸命に働き、ご紹介した新製品を創りあげたアップルの社員全員に、みなさんとともに感謝したいと思います。また、アップル社員の家族や配偶者にもありがとうと言いたい。みなさんとしても、我々にまだしばらく、仕事をして欲しいと思っておられるでしょうから」(井口耕二訳)
ビックリだ。原文は、
"I would like you to join me in thanking all the people at Apple who've worked so hard to create all these new products." Then he added, "I want to thank the families and the spouses of all the people at Apple. Because I know you'd like to have us around a little more."
となっている。
最後のセンテンスは、「家族のみなさんとしては、もう少しわれわれと一緒いる時間があるといいのにと思っていることを、私は理解していますから」となるべきじゃないか。働きづめで忙しく、家にいる時間の少なかったパパたち(やママたち)に、もっと家族と一緒に過ごしてほしいと思っている家族が仕事に示してくれた理解や忍耐に対してありがとうと言っているんじゃないか。だいたいハードワークの結果が出たばっかりで、なんでさらに家族は「まだしばらく、仕事をして欲しい」と思うんだ? ゆっくり休んでほしいし、一緒にいてほしいと思うもんじゃないのか? 日本語訳だけを読むと、まるで過労死でもしかねないような感じだし、そのことをジョブズが悪いジョークにしているようにも受け取れる。
まったく発言の意図が逆になってしまっている。これでは、この本のテーマのひとつでもある人間スティーブの変化を示す、もっとも劇的な発言の真意が伝わらない。
もうひとつ突っ込めば、最初のセンテンスは、私が感謝しているのと同じ気持ちで、「みなさんにも」ぜひ功労者に感謝してくださいと言ってるのであって、単に「みなさんとともに」なんていうことじゃない。join meというのは自分が感謝の言葉を言ってるのに加われ、という意味だろう。感謝しましょうというイニシアチブをジョブズが取っていることがポイントだ。なのに、単純に「みなさんとともに感謝したいと思います」じゃ、ほとんどそのニュアンスが伝わらない。
ワンマンだったジョブズが、率先して「チームプレー」の価値を評価し、チームに感謝とねぎらいの言葉をかけている。この発言は若き日のジョブズでは考えられないようなものだ。そういう鮮烈なコントラストを、この本の著者は最後の部分に本人の発言でもってきているのだから、そのニュアンスを何とか訳して伝えようとするのが翻訳者の仕事じゃないのか。この訳が、その場で通訳する逐語訳なら90点、同時通訳なら文句なしだけど、翻訳で、このニュアンスを伝えていないのはヒドイと思う。
【追記】その後、訳者のブログにコメントを書いたところ、やはり誤訳だったむね返答いただきました。詳しくは、下のコメントをどうぞ。
2006年06月04日
B級グルメ
銀座にある名古屋みそかつの老舗「矢場とん」。わらじとんかつを注文。Hanakoには200グラムだか220グラムとか書いてあったと思ったけど、もうちょっとボリュームがあったような気がする。いくらトンカツ好きのぼくでも飽きるなと思って、ふと横を見たら、同じわらじとんかつなのに、みそとソースのミックスが1列ずつ並んでいるのを食ってる男が! そんな応用技があったのかと悔やむ。昭和22年創業なんだとか。
前から気になっていた、西新橋の「カレーの店スマトラ」。ついに入ってしまった。530円で普通盛り。しかし、ぜんぜんおいしくなかった。粉っぽいカレー。昭和30年代から変わってなさそうな三角巾にエプロン姿の店員のおばちゃん(昭和時推定お姉さん)が3人。子どもが間違えてカーブを2つぐらい多く書いてしまった「S」の字のように、うねうねと店内を埋め尽くすカウンターテーブル。テーブルには、福神漬け、桜漬け、紅ショウガをもった小皿が、整然と20センチ間隔で並んでいる。小皿の数はざっと30~40個もあろうか。おかしいよ、この店。らっきょ60円とかサラダ60円ってのも。
客はみな常連っぽくて、オーダーの仕方や食べ方を見ていると「オレはもうここに通って20年だ」とか言いそうな感じ。
同じ老舗でも矢場とんは、これからも若い人が来て繁盛しそうだけど、スマトラのほうは、「この味が忘れられなくてね」という常連おじいちゃんとともに、後10年ぐらいで消えちゃいそう。
神保町、共栄堂のスマトラカレーが食べたくなった。