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2008年09月21日

電動自転車

電動アシスト付き自転車を買った。下り坂での追加充電の機能でパナソニックやヤマハをリードしているというサンヨーのエナクルにした。聞いた話ではサンヨーはアシストが強めで、年寄りには必ずしもお勧めじゃないという。確かにパナソニックのヤツに試乗した感じでは、「ふーん、電動ってこんなもんか」という感が強く、あまりアシスト感がなかったけど、サンヨーのほうは最初のひと踏みからシッカリとアシストしてくれてる感じがある。ギアを一番重たい3速にしたまま漕ぎ出しても、平地ならまったく苦もなく瞬時に巡航速度に加速してしまう。


サンヨーの電動自転車

朝の保育園へムスメを送るとき、いつもベビーカーを押して急坂を登っていた。この坂がなかなかキツくて、12kgのムスメを載せていると坂道の半分を超えたあたりで息が切れてくる。雨の日や猛暑の日となると朝からかなりツラい思いをすることになる。

そんな坂も1速なら立ちこぎ不要でスイスイ。やや前傾姿勢を取る程度で、むしろ歩いて登るよりも楽と来たもんだ。自転車が22kg、ムスメが12kg、ぼくが65kgと、100kgぐらいあるのに楽々。これはすごい。ほどよい風を受けながら後ろに乗ったムスメと大声で歌いながら走るのが気持ちいい。

しかし、微妙にケチってバッテリをリチウムイオンじゃなくニッケル水素にしたのは失敗だった。1回の充電で31km走るというスペックを鵜呑みにしてしまったけど、これはかなりトリッキーな数字だ。ぜんぜんそんなに走れない。都心部は信号だらけでストップ&ゴーの連続だからというのが理由のようだけど、それにしても電池がもたなさすぎる。実感としては15kmがせいぜいだ。

片道30分でスイミングに行った帰り、バッテリが切れてしまって死ぬかと思った。ムスメは後ろで寝てしまうし、近道しようと思ってかえって道に迷って遠回りしてしまったりで、ひどい目にあった。バッテリ切れの電動自転車は、噂に聞いていたほど重たくはないけど、それにしても百メートル以上も続くような緩やかな坂を登るのは、かなり辛い。立ちこぎで充分バランスが取れるほどスピードは出ないし、かといって座ってこぐと太股への負荷がすぐに耐えがたくなってくる。

電動自転車は基本的に楽ちんだけど、それでもかつて自転車と聞いて思い浮かべるような感覚を、いまのぼくは持ち得ないのだなと改めて思った。

かつて自転車といえば、手足のような存在だった。子供時代から大学生時代まで、スピードもバランスも思いのままで不安を覚えるようなことは1度もなかった。クルマに混じって交差点の真ん中で右折信号を待っていたものだし、人ごみをスイスイと抜けていくのに不安を感じたこともない。自転車に乗るのは歩いたり走ったりするのと大差なく、ただ違うのはスピードと楽さだけだった。

その手足のようだった自転車が、いまや慎重に扱わないと転んでしまいそうに感じる乗り物になってしまった。重たく、加速が悪く、止まりも悪い。これは制動能力の高いバイクに慣れたせいもあるだろうけど、何といってもムスメと荷物の重さが大きい。ゆっくりしたスピードでは非常にフラつくので、人ごみを抜けられる気がしない。品川あたりは歩道が狭く、電柱や歩行者のために、まともに走れない。

1人で自由に自転車を乗り回したり、バイクですいすい走るのと比べて、ずいぶんな違いだ。この違いが、自分のライフステージの変化を象徴しているような気がしている。

投稿者 ken : 23:03 | コメント (0)

2008年09月04日

数独とオレムカ議論

iPhoneで少し数独をやってみた。けっこう楽しい。iPhoneは数独のためのデバイスじゃないかと思うほど操作は快適だ。


iPhone向けの数独って、すでに何種類もある。、有料のも無料のヤツも

子どものころ、世界文化社のパズル雑誌「パズラー」の愛読者だったぼくにとっては数独というより「ナンプレ」といってもらったほうが馴染みがある。あれは1984年ごろだったと思う。で、25年ぐらい前のナンプレと比べると、いまの数独は、問題も、解法のための技術も、すっかり進化しているという印象を受ける。

もはや解法のための手法も研究されつくされているし(実は大別すると4つぐらいしかないらしい)、ネット上にはそうしたアドバイスやティップスであふれている。解法が一意となるのに必要な最小の数字の数はいくつだろうか、ということを分散コンピューティングで調べている人たちまでいる。

問題を解くアルゴリズムから、人間にとっての難易度を判定するアルゴリズムまである。人間が「これはおもしろい」と感じるものを機械判定できないというところには、まだパズル作家の活躍の場があるのかもしれないけど、もうとにかく研究されまくっている。

これはルービックキューブと同じで、数独には、むき出しの謎かけといったパズルに本来備わっているべき何かが欠けているということだと思う。もちろん、意図的にそういう情報に接しないままに数独に取り組めば、そこには相変わらず言葉少なで魅力的な謎かけが待っているわけだけど、すでに先人たちが素っ裸にしてしまっているという感じがあるのは、パズル好きにとっては燃えることができないん状況じゃなかろうか。

ルービックキューブの解法を自分で研究し、17歳のときに初代世界チャンピオンとなったJessica Fridrichは、コンピュータが最善の解法を計算してしまえるようになった今、もはやキューブにはかつてキューブが持っていたミステリアスな魅力はなくなったと言っている。今やキューブには手順を記述する記法ですら標準的なものがある。

もはや数独はテクニックの獲得と、その習熟という感じになってしまっている。少なくとも、そのだいたいの様子が最初から見えている。それはそれで上達感を楽しむという意味では楽しいのかもしれないけど、よく整備された舗装道路を歩くような感じが強い。

数独だけがブームになっているのも気になる。数独だけでもマトリックスを拡張したものや、さまざまな制約をかけたバリエーションがいくらでもあるだろうし、数字とマトリックスを使ったパズルはゴマンとある。パズラーという雑誌には、毎月誰も解法を知らない斬新なパズルがたくさんあって、ぼくはそういうのにワクワクした。高度なテクニックを洗練させ、スピードを競ったりするよりも、むき出しの謎かけに取り組むほうが楽しい。

2、3年前に友人の1人が数独にハマっているというので、ぼくは思わずネガティブな反応をした。たぶん時間の無駄だというようなことを言ったと思う。パズルというのは総じて壮大なる時間の無駄だ。いい大人が何時間も時間をつぎ込むようなものじゃないというのが、ぼくのパズルに対する見解だ。いっそ趣味として本気で楽しむなら、それだけの価値はあるだろうけど「暇つぶしになる」というような理由でやるには、あまりにも虚しい。

数独の話になると、ついぼくは「オレは昔ハマったことがあるけど、キミ、イマサラ?」という反応をしがちだ。こういう反応は実によくあることで、ぼくはこれを「オレムカ議論」(オレは昔)と名づけている。中二病とか呼ばれてるヤツに含まれる症状だ。あるときぼくが「キミ、イマサラ数独?」とトゲをさした友人は、別の機会にiPhoneを自慢するぼくに対して「あ、オレずっとiPod Touch使ってて経験済みなんだけど、なんか違う?(キミ、イマサラ?)」という反応が返ってきた。iPod Touchと違ってiPhoneはオールウェイズコネクテッドだからまったく別物だよ! と、顔を真っ赤にしてぼくは反論したが、どう考えても2人とも中二病だ。

自分が応援していたインディーズがメジャーデビューしたときに思わず「オレなんてX年前から注目してたよ」といい、さらに本格的にメジャーになると、すっかり応援する気がなくなるような心理と、どっか通じてる。

本当は、メジャーになったことを遅れてそれを発見した人と一緒に「そうだよね、すごいよね、いいよね」とコーフンし、昔話などおくびにも出さずに話を合わせるのが大人ってもんだろうなと思う。その人がこれから発見するだろう欠点で、自分がとっくに気づいていたものを指摘したくなる心理もあるけど、あえて言う必要もない。何かに喜んでいる人に対して、その対象を少しでも貶めるようなことは断じて言うべきではない。まして、オレムカ議論をすることで何かしら自分の先進性のようなものをひけらかすのは、実にさもしい心理に根ざした行為だ。何か新しい買い物をしてきて高揚している人に対して、実に良く行われる蛮行だと思う。「みてみてー、これ買ったのー★」「あー、それすぐ壊れるよ」とかいうのはサイテーだ。

数独に関するこのエントリは典型的なオレムカ議論だ。

投稿者 ken : 23:45 | コメント (2)