the other side of my days
ご意見,ご感想,ごいちゃもんなどございましたら
NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>まで。


2003/01/01(Wed) 2003年の目標
2003/01/02(Thu) 初島や
2003/01/03(Fri) ベーコン6枚
2003/01/04(Sat) 泳ぎ初め
2003/01/05(Sun) カゼ
2003/01/06(Mon) 初出社
2003/01/09(Thu) 中華思想
2003/01/10(Fri) サンガッ
2003/01/11(Sat) ごろごろ
2003/01/12(Sun) ハマの風
2003/01/13(Mon) 泳げない
2003/01/14(Tue) 何でもない日
2003/01/15(Wed) 新年会
2003/01/16(Thu) タンパク質
2003/01/17(Fri) 荷担
2003/01/18(Sat) TGIF Saturday
2003/01/19(Sun) スリル
2003/01/20(Mon) 慌ただしさ
2003/01/21(Tue) やめた
2003/01/22(Wed) 6000円の反則金でも気分はいい
2003/01/23(Thu) 悪の思想
2003/01/24(Fri) 交通事故
2003/01/25(Sat) 禁酒じゃなくて
2003/01/26(Sun) 外交官
2003/01/27(Mon) パーソナルコンピュータの父
2003/01/28(Tue) 国語辞典
2003/01/29(Wed) 40カ国語
2003/01/30(Thu) もう1カ月
2003/01/31(Fri) 幻想の恋愛


2003/01/01(Wed)

2003年の目標

普段4時とか5時に寝ている人間が,急に12時に寝られるわけもなく,寝床で本を読む。今年1冊目の本は『悪の対話術』(福田和也,講談社) 。何かのついでにタイトルが気になって手に取った本だけど,これは10冊に1冊のヒット。単純におもしろいし,扱っているテーマの俗っぽさと裏腹に,すべてのトピックに通底している人生哲学には味わい深く,考えさせられることがたくさん。大げさに言うと,人生を変えるインパクトがあった。福田和也って,売れ出したころにはヤケに偉そうなただのデブだと思ってたけど,実はかなり好きかも。
1年前の正月に立てた2002年の目標のうち,いくつぐらい実現したのかわからんけど,今年も書いてみよう。といっても去年は目標を書いた直後,そのあまりの無謀さに気づいて1月3日ぐらいには取り消したので記録は残っていない。確か2002年初頭に掲げた目標は,語学と水泳と読書だった気がする。語学は英語ではTOEIC970点,英語以外の外国語で検定3級。水泳は2日に1度泳ぐ。読書は日本語で200冊,英語で10冊だった。
去年の目標をそのままスライドさせるといいんじゃないかと言う気もするけど,あまりに目標と現実に差があると意味がないので,今年はもう少し現実味のある数字を。2002年の結果を検証すると,語学の結果はTOEIC955点,英語以外の外国語なし。水泳は3日に1度程度。読書は日本語50冊,英語2冊。特に読書が少ないことが判明。って,ずっとわかってたことだし,去年は春から夏にかけて仕事が忙しかったからなぁ……。
まだ受けるの? と言われそうだけど,そろそろTOEICは満点を目標にしよう。今年は文法と語彙・語法を意識的に勉強してみよう。あんまり根拠はないけど英検1級もそろそろ受かりそうな気がするので,今年は英検も受けてみよう。英語以外の外国語は,今年もどうせ余裕がないだろうからサッパリあきらめる。水泳は1km18分というのが1つ。2.5kmを50分というのが1つ。それから1日あたりの平均距離を2kmにすること。一番難しいのは2.5kmを50分というヤツか。読書はギリギリ現実的に思えるセンで100冊。

2003/01/02(Thu)

初島や

元旦の薄曇りの天気が嘘のように快晴。友達がいるわけでも街がおもしろいわけでもない熱海の実家に帰ったときの楽しみの1つは,お風呂。ヤケにオープンなお風呂場の窓を開け放ち,ちょっとした露天風呂気分。雲一つない青い空と,眼下に広がる穏やかな海を眺めながらノンビリ。ジャグジーでかきみだされる温泉水が,かすかに香る。
左手彼方に房総半島,右手に網代の漁港。輝く海面には初島が浮かぶ。初島まで約11kmらしい。夏には遠泳大会をやってるらしい……。ふーむ。
水菜の雑煮を食べながら,元旦に逝去した祖父の姉の話を母に聞く。直接の死因は棚から荷物を下ろそうとした時に起こった大動脈破裂だかなんだかと,結構物騒な感じではあるけど,96歳だったとかだから,まあ老衰と言えなくもない。ついでに家系のことを根ほり葉ほり聞いてみたら,あまりに知らないことがたくさんあって驚いた。ぼくの祖父の姉の1人は,日本で初めて理髪師の免状を取った女性というのでテレビの取材を受けたことがあるらしい。曾祖母は明治期の女性としては珍しく読み書きを良くしたというし,家系的に文字が読める人が多かったというから,自叙伝か日記が残ってるなら読んでみたい。
駅伝には興味がないのでソファで読書。『非対称情報の経済学---スティグリッツと新しい経済学』(藪下史郎,光文社),読了。すべての買い手と売り手が平等に,同じ情報を持っているわけではない。そういう情報の不完全性,情報の非対称性というものが経済活動に決定的な影響を持つ。情報の流通にはシステムやコストが必要で,新古典派経済学が前提としたような理想的な市場というものは現実には存在しない。
うーん,おもしろいけど,なんか当たり前のことばかりのような……。経済学部出身の兄貴によると「当たり前のように書くのは難しいねんで」という。現実に起こっている現象としての経済のメカニズムを探る実証経済学というのは,理論が完成してみれば当たり前に思える,ということか。にしても,新古典派経済学が素朴過ぎただけじゃないのかという印象を受けるのはなぜ?
数年前,とある経済学の先生と仕事をしたことがある。そのとき,こんな質問をした。「ネット上では情報がいまだかつてない速度と量でやり取りされている。今はフォーマットの不統一のために人間が目でやってるけど,もう後数年もすれば機械的な価格比較が可能になる。すると同一の商品やサービスで価格が違うということが許されなくなる。地域差や店舗差はどんどん縮んでいく。それは消費者としては喜ばしいけど,経済そのものにとっていいことか悪いことかぼくにはわかりません」。大変お馬鹿なこの質問に「情報格差がなくなるというのは経済にとって理想ですよ!」と,その大先生は答えた。今にして思えば,かなり恥ずかしい質問だった。
物理で言えば相対論と古典力学の関係のようなものじゃないかと思う。天体の運動を記述するには相対論的効果を無視することはできないけど,スケールが小さくなるほど相対論的な影響は小さくなるので,古典的なニュートン力学による近似で済ませられるようになる。
情報の不完全性や非対称性が排除されるに従って,ミクロであろうとマクロであろうと市場はアダム・スミス的な状態に移行する。インターネットが必ず何か決定的な役割を果たすことになるはず。向こう10年ぐらいで情報の流通コストや処理コストは劇的に変化するはずだから,非対称情報の経済学というのは新古典派経済学の前提する「理想市場」へと人類が移行する過程を説明しているに過ぎないんじゃないだろうか。直感的にはミクロな市場ではすでに起こっているような気がする。
労働市場で賃金に下方硬直性があるのも情報が不完全であるため。情報の欠如のために賃金や,あるいは労働者自身がいまだに硬直的だけど,いずれ流動性が高まるのは時間の問題。労働者の流動性の低さは,新しい技能の習得といったことや,制度・社会習慣的な問題といったことよりも,情報不足ということのほうが大きいのじゃないかと思う。いずれインターネットは劇的に労働市場のあり方を変えるはず。それは雇用者,被雇用者双方にとって好ましい変化だし,ぼくとしては明日にでも起こって欲しい変化。

2003/01/03(Fri)

ベーコン6枚

雪やんか。たっぷりのベーコンと卵でアメリカンブレックファスト。かなり臭いフランス産チーズと上品ぶった神戸産ソーセージ。コーヒーがぶがぶ。
朝から寝床でビデオ見まくり。FOX JAPANでもまだ放送予定がない日本未放送のアメリカンコメディー「FRIENDS」のSEASON8。ふっふっふ,ファンなら垂涎ものだろう,と一人ほくそ笑みつつ一気にEPISODE24まで見終わって呆然。EPISODE24が,ものすごく中途半端なところで終わってて先が気になるやんかーっ。うきゃーっ。

2003/01/04(Sat)

泳ぎ初め

ようやくプールがオープンしだしたので,さっそく泳ぎ初め。50m1分15秒前後のペースで気持ちよく4km。急に効率的なキックの感じがわかった気がする。いい感じじゃんと満足しながらプールから上がって着替え終わったら,ガックリと疲れが。やっぱり体力がない。
待ち合わせの時間までスタバで読書。隣に座った大学院生らしきカップルが五月蠅い。男の発想があまりにも甘ちゃん。自虐を装った中途半端な自尊心にイライラ。聞くまい聞くまいとすればするほど立ち上がって「馬鹿野郎」と叫びたい欲望が。ていうか,大声で早口で饒舌って迷惑だよ。抹茶フラペチーノ1杯とコーヒー1杯。
大学時代の友人と新年会。新宿でステーキ。うまい。絶妙のタイミングで出てくるガーリックライスと赤出汁がたまらん。大人がスポーツをやる理由の1つは運動後のビールが飲みたいからだと思うけど,やっぱりビールがうまい。
ヤケにスキーで日焼けしたNと,相変わらずプチデブなF,珍しく時間通りに登場したTと懐かしの高田馬場へ。想い出のバーは年始の休業で,こぢんまりしたカフェで遅くまでおしゃべり。

2003/01/05(Sun)

カゼ

冬休みも終わろうとしているのに風邪。

2003/01/06(Mon)

初出社

風邪で熱っぽいものの,出社。ひたすらWebと雑誌を読みあさる。
夜,「初メーヤウ行きませんか?」と言おうと思って同僚Kの背後に立つなり,振り返りざまにKは「ん? なに? 初メーヤウ!?」と言ったもんだ。ちょっと悲しい。久しぶりのメーヤウカレーは,いつにもまして辛かった。
『自然界の非対称性---生命から宇宙まで』(フランク・クロース,林大訳,紀伊國屋書店),読了。地球上の生物の,すべてのDNAが同じ方向に巻いているのは偶然ではない。反対方向でも良かったはずなのに,なぜその方向なのか。生命にとって,宇宙に潜む根元的な非対称性はことのほか重要な意味を持っている。そうか,鏡に映るミルクはこちら側の世界の人間には飲めないんだ。化学は鏡像変換に対してちっとも対称じゃない。
一見美しいまでに対称的に見える素粒子を支配する法則に潜む非対称性は,水晶玉に入った傷のようなもので,そうした非対称性は宇宙の初期に生まれた。なぜ生まれたか。それは非対称性がなければ「なぜ」と問う知的生命が,そもそも宇宙に生まれてこなかったはずだから,というのが1つの答えで,繰り返し著者の指摘するところ。なんだ,やっぱり人間原理なのかという気もする。
テーマは興味津々だし,個々のお話もおもしろいけど,とりとめがなく散漫な印象。なんでキューリー夫妻の放射性元素分離の発見談を延々と書かなきゃいけないのか意味不明。文章も今ひとつ。どこかで聞いたようなありきたりのレトリックを得々と書き散らしてばかりでウンザリ。訳もヒドくて途中で何度も読む気が失せた。

2003/01/09(Thu)

中華思想

風邪が治らない。泳ぎたい熱がウズウズ。鼻はぐずぐず。仕事はぼちぼち。新年のご挨拶兼仕事依頼のメールを送りまくる。
『中華思想と現代中国』(横山宏章,集英社),読了。ある意味謎の国だと思えていた中国が,中国の伝統的思想,政治的風土,世界観というパースペクティブの元にその輪郭を現わす。そうか,中国ってこういう国だったのか,と今さら納得。

2003/01/10(Fri)

サンガッ

追いつめられてないときの仕事というのは楽しいもの。企画書を書きながら,もうちょっと身を入れて仕事してみようか,なんて思ってみたり。
風邪なのにと思いつつヨーカ会。四谷で焼き肉。急に言った割に集まる4人。珍しくさっくりと1軒で帰る。

2003/01/11(Sat)

ごろごろ

風邪薬を飲んで,寝床で雑誌,新聞を読みあさる。StarChannelで映画を数本。

2003/01/12(Sun)

ハマの風

風邪は相変わらず。ずいぶん長引いてる。でも,お出かけ。好天。久しぶりの横浜。赤レンガ倉庫,ワールドポーターズ,山下公園。静かに波を切るシーバスに乗る。夕刻の冷たい潮風に頬をさらしつつ。胸痛む。よりにもよって,横浜なんて。
帰りは自由が丘で途中下車。ヘンだけど意外においしい中華。渋谷で再び途中下車してベルギービール。微妙にとろんとした目のYさんは思ったよりも酔っぱらう人。酔っぱらうと人は余計なことを言うもので,それはそれで楽しいもの。

2003/01/13(Mon)

泳げない

ここしばらくなかったほどの快眠。でも風邪が治らなくて泳げない。1日中,ごろごろ。洗濯だけして映画を2本。

2003/01/14(Tue)

何でもない日

会議会議。風邪治らず。なんか,何でもない1日。

2003/01/15(Wed)

新年会

たばこの吸えない社内打ち合わせスペースを抜け出して,ライターMさんと喫茶店でうち合わせ。チェーンスモーカーに禁煙場所というのは地獄。それはわかるけど,もうそろそろ世の中から消滅することが決定したようなものだし,たばこはいっそ辞めたほうが楽じゃないかしらと他人事ながら思う。いや,まだ若干他人事じゃなかったりするときがあるのだけど。
新ボスが来てから,若干雰囲気の変わった職場。なんと新年会。ぼくが知る限り,去年の突風的な新年会をのぞいて,過去10年ぐらいついぞなかった部内宴会。内部,外部から50人ほどが集まって新宿でカジュアルイタリアン。同期の営業部の子がビンゴゲームで一等。パナのD-snapをもらっていた。くやしい。
まだ風邪で調子が良くないから,さらっと帰ろうと思いつつ,なんとなく二手に流れた二次会で古参派グループに付いていく。4人だけの小さな二次会は,なるべくしてそうなったというメンツという感じがなくもない。
悪口,うわさ話以外に酒の肴となる無難な話題があるわけもなく,あくことなく誰それがどうだ,誰それはああだ,と話す。不況,不調で微妙に水面下が殺気立つ職場だからこそ,罪のない悪口の効用というのは大きい。
徒党を組んだり派閥を作ったり,まして心理的S&Mまがいの徒弟関係で権勢を広げて社内政治をするよう人は好きじゃなかったし,自分は別に1人の仕事人として独立とバランスを保っていればいいと思っていたけど,そろそろ政治に巻き込まれる年齢なんだと思いつつ。くだらないと,それを鼻で笑っていると不利な立場に追いやられるんだから,これはもう世の中は見た目ほど甘くないと腹をくくって戦うしかない。明るく上品にしたたかに。

2003/01/16(Thu)

タンパク質

何か壊れてるんじゃないかというほど,風邪が長引いている。風邪なのに毎日ビール飲み過ぎなのがイカンのじゃないかと思ってみたり。
『タンパク質の生命科学---ポスト・ゲノム時代の主役』(池内俊彦,中央公論),読了。高校のとき有機化学は好きだったし,よく勉強したと思うけど,タンパク質の3次元的な高次構造を示す模式図は初めてみた。ポリペプチドの分子的な配列は知っていたけど,それより高次の構造に,これほど視覚的に捉えやすい単位が存在しているなんて知らなかった。αヘリックスとβシートがフクザツに絡まった球状タンパク質の絵に感動。タンパク質ってこうなってたのか! 生物を構成する20種類のアミノ酸から始まり,タンパク質,酵素,RNA,DNA,コドン,遺伝子の転写,翻訳とどっかで聞いたことのあるキーワードを,割と手加減なく分子レベルで解説してくれる本。まじめに読むと眩暈がしそうなほどの固有名詞の海なのでざっくりと概念だけ拾いつつ。それにしても,まったく生命現象ってのは不思議なものだと思うけど,その不思議さを,人間は自ら解明しつつあるということもまた同じぐらい不思議。

2003/01/17(Fri)

荷担

嫌悪感と純粋な哄笑。アンビバレントな気持ちを抱えつつ,定期的にengrish.comというサイトを見てしまう。englishじゃなくてengrish。
このサイトはたぶん日本に在住してたか,現に在住しているアメリカ人がやってるサイトで,日本の街のあちこちで見かけるナンチャッテ英語をちゃかすというもの。単に間違っている英語を指さして笑うんじゃなくて,その英文を作った本人が意図することと,まったく違う,結構とんでもないことになっちゃってる英語を集めているところがミソ。思わず顎が外れそうになったり,あまりにおかしくて吹き出してしまうモノがたくさんある。衣料品にデザインとしてあしらわれたものや飲食品のパッケージ,看板,標識,雑誌と,ほとんどあらゆるモノに見られる。サイト管理者いわく,「驚くべき現象」。
……,と久しぶりに見たら,ホントにおもしろくて笑いが止まらないヒット作ぞろい。
人が第二言語で犯す間違いをバカにするのって品性や知性を欠いた恥ずかしい行為だと思う。だから非常に強い嫌悪感を催す。でも,偶然のいたずらで,ある確率でネイティブスピーカーをビックリさせるような空恐ろしい表現や,爆笑させずにおかない滑稽な表現が生まれるというのは事実。ポスターや標識などは「まじめ」に作られているので,その分なおさらおかしかったりする。
このサイトを見ていて,たまに「えっ,何がおかしいの?」と思うものに出くわす。特に何も問題がない英文に見えるものが,20個に1個ぐらいは混じっている。つまり,しょせんぼくの英語力だと,ネイティブが見て「プッ」というのが瞬時にわからないこともある。逆に,日本語ネイティブだからこそわかる,ほほえましい日本語英語も多い。
印刷物関係のデザイナの友達に英訳や英文チェックを頼まれる機会が増えて,他人事じゃなくなってきたな,と思う。engrish.comにネタを提供するようなことはさすがにないだろうけど,きっとぼくも不自然な英文を作ってるはず。
この程度の英文でお金をもらっていいものだろうかと思いつつも,先方から送られてくる「とりあえず訳した」というヤバイ英文を見てると,ぼくの英語力も役立つことがあるんだなと思う。それにしても,デザイン系のネームって和文でも意味不明な詩的なのが多い。詩的なレトリックに走ってばかりで論理も文法も破綻してしまう素人の浅ましさ。論理を重んじる作文技法こそ,まず大切にすべきだと思うんだけどなぁ。

2003/01/18(Sat)

TGIF Saturday

いっそ泳いだら風邪も治るんじゃないかという自傷行為的な誘惑を感じつつも,おとなしくテレビを見まくり。Discovery Channelおもしろいよ。
夜,六本木のTGI Friday'sへ。結構な頻度でアメリカンなハンバーガーが食べたくなるこの衝動。バッファローチキンウィングもベーコンバーガーもうまい。チキンとビールをおかわり。久しぶりに会うマイクは相変わらず。話すたびに新鮮な発見があるのは,やっぱり彼がアメリカ人と日本人の中間だからじゃないかと思う。

2003/01/19(Sun)

スリル

年末年始にやり残した大掃除。捨てまくり。カビキラーって初めて使ったけど,メチャクチャ落ちるね。ちっとも期待してなかっただけに,その効果に唖然。こすらなくてもキレイに落ちる。今までゴシゴシやってた苦労は何だったんだ……。
橋の欄干やビルの屋上,崖っぷちから飛び降りるスカイダイビングをBASE Jumpというらしい。「Thrill seekers」というテレビ番組の映像を見ていて,思わず声をあげそうに興奮している自分を発見。だって,もう笑っちゃうしかない。崖を落ちていく映像なんて,そりゃスゴイ。すっごい気持ちよさそう。
ごく小さな数字ではあるものの,人口に対してある一定の割合でthrill seekerと呼ばれる人たちがいて,そういう人たちは自らスリルを求めて命知らずなコトをやって喜ぶ。でも,別に死への願望や衝動があるわけじゃないし,目立ちたがり屋というわけでもない。むしろ彼らは生きていることを実感するために,スリルを求め,しかもそれがエスカレートしていくのだという。
現代社会では死の恐怖を感じる機会があまりに少なく,それだからこそ,程度の差こそあるものの,人はスリルがもたらす高揚感を求める。死の恐怖を感じて,そこから解放されるときにしか本当に生きているんだという実感を見いだせないという逆説的状況を,技術文明は生み出した。
車で飛ばす人,スノーボードでかっとぶ人。絶叫マシンに乗って満足する人もいれば,それじゃあ足りない人もいる。脳内にあるドーパミンのレセプターの感受性がふつうの人より弱くて,ふつうの人なら耐えられないような恐怖,そういう強烈な刺激でもって初めて爽快感を感じる人たちが,thrill seeker。そのthrill seekerの行き着く先の1つがBASE jump。前にスカイダイビングの体験ジャンプをやったとき,インストラクターの1人が実際に崖から飛んだことがあると言ってたけど,高度4000mなんかまったく比較にならないほど高度数百mというのは怖いらしい。だからこそ,ほかではあり得ないほどアドレナリンが身体中を巡るわけで。
フリーフォールの時間がせいぜい数秒〜10秒という超々低空のスカイダイビングと言えるBASE Jumpはやっぱり危険。一瞬でも姿勢が崩れるか,リザーブのパラシュートに頼らないといけないような事態が起こったら,それでアウト。2000回のジャンプに1回の割合でジャンパーが死んでいるらしい。
ぼくは,いずれこれで死ぬことになるんじゃないかと思った。

2003/01/20(Mon)

慌ただしさ

原稿依頼で久しぶりに会うSさんとアジャンタへ。いつもよりややしっとりしたキーマカレーがうまい。
ほんの3,4年ほど前まで,もっとも荒廃しきっていた編集部で毎月の修羅場を一緒に過ごしていたSさんは,今や別人のよう。あのころSさんが持っていた,軽い躁状態のような浮ついた感じは,もうその面影もない。空気を伝ってくるような焦燥感もなく,何か不気味なほど淡々としている。現況を聞くに付け,Sさんの転向は,本当に本人のためだったんだなと思う。仕事は余裕,収入は大幅アップ。時間には大幅に余裕ができたという。
心臓が痛むほど徹夜続きで仕事をしても,毎月毎月締め切りに追い抜かれる生活なんて,そうそう続けられるわけもない。たいていの人は辞めていく。まじめで責任感の強い人ほど追いつめられる。ぼくはある部分,いい加減な性格だからやってこられたんだろうなと思う。考えてみたら体調をがたがたに崩すか,「仕事がキツいから」という理由で,ざっと10人くらいは辞めていったもんなぁ。そのうち半分の人は,本人の能力不足のせいじゃなかった気がする。

2003/01/21(Tue)

やめた

タイトルの「やめた」というのは仕事じゃない。仕事は辞めることをやめたことになっています。とりあえずのところは。あれほど強気なことを言い,辞表まで出したので,かなりナサケない気分ではあるけど「日本のリーマンなんてそんなもんだよ」と開き直りつつあります。まあ4月を越えて会社が新体制に移行するのを見てもいいかな,という。うちの会社は大々的な再建の真っ最中なのです。
で,やめたというのは,お酒。ふと立ち読みした『禁酒セラピー---読むだけで絶対やめられる』(アレン・カー,阪本章子訳, KKロングセラーズ)という本が気になった。いつもなら,この手の本は立ち読みで済ませるけど,今日はモノのついでと購入。その足でスタバへ行って読み終わり,それで「ああ,やっとお酒がやめられた」と思った。つき合いやパーティーも含めて,ぼくはもう一生お酒を飲まないと思う。飲み会という場は好きだから,そういうのはどんどん行くと思うけど,ぼくはもうアルコールの入ったものは一切飲みません。禁酒というのは,何か好きなモノを一時的に意志の力でやめるというニュアンスがありますが,この本の著者が言っているのも,ぼくがやるのも禁酒じゃない。
本の最後には,「グラス1杯なみなみと注いだハードリカーを飲んで,もう2度とこの不味い毒を飲まなくてよいことを喜びましょう」ということが書いてある。でも,いざ読み終わってみれば,ぼくはもうお酒をやめるということが待ちきれなくなってたので,結局,生涯最後の1杯をぼくはすでに昨日飲んだことになるんだな,と思って本を閉じた。たばこをやめたときもそうだったけど,何かをやめると考えると非常に寂しい。でも,お酒のない生活を始めるんだと考えると,非常にわくわくする。新しい生活。時間とエネルギーと体力,それに使えるお金が増えるのだから,わくわくしないわけがない。
18歳からほとんど毎晩お酒を飲むようになって14年。もともとべらぼうに強いほうではないけど,それでも毎晩へべれけになるまで飲み続けたし,20代は浴びるように飲んでいた。大勢で飲むのも,1人で飲むのも同じぐらい好きだった。毎日のことだから1人で飲むことのほうが圧倒的に多かった。常にボトルの空き瓶が5本も6本もゴロゴロ散乱したぼくの部屋を見たことのある人はたいてい,ぼくに向かって「アル中だよ」と言ったけど,そんなのちっとも気にしなかった。そもそも,ずっとぼくは死ぬつもりでいたから気にする理由はあんまりなかった。
30歳の声が聞こえてくる頃には少しはオトナになって,いずれお酒はやめることになるんだろうなというぐらいに思うようになった。それでもまだ気にもしてなかった。別に自分は健康だし,お酒でトラブルを起こしたこともなければ,記憶をなくしたこともない。いつでもやめられると思っていた。お酒が大好きだと思っていた。今日までそう思ってた。
夜になると飲まずにいられない,そういう状態はずいぶん前からだけど,去年あたりからは酒量のコントロールもほとんどできなくなっていた。自分がそういう酒浸りの状態にいて,しかもそれで苦しんでいるということを本気で認めて,本気で抜け出そうと思ったのが今日。二日酔いや嘔吐は10代の無茶をのぞいてほとんど経験がないというのが自慢だったけど,ここのところ軽い二日酔いがずっと続いていて,毎朝毎朝,あるいはプールで泳ぐたびに「お酒やめたい」と思うようになっていた。だから,禁酒の本を手に取ったのは偶然じゃなくて,必然だったと思う。
「飲まずにどうやって寝たらいいのかわからないんですよ」と冗談として人に話すことはあったし,アルコールに寛容な日本文化のことだから,たいていの人は冗談として受け流すだけだったけど,ぼくはやっぱりアルコールの問題を抱えてたと思う。
本を読めばわかりますが,禁酒や禁煙に付きものの「誘惑」とか「意志の力」とか,そういうのは関係ないので,お酒(の場)に誘ってくれる分には大歓迎です。念のため。ぼくと同様に「お酒をやめたい」という人には,やめる方法を教えますけど,人にまでやめろなんて言いませんのでご安心を。

2003/01/22(Wed)

6000円の反則金でも気分はいい

朝,スッキリ目覚め。久しぶりに飲まずに寝た朝。うれしい。なぜか昔懐かしい朝の目覚め,ふつうの目覚め。ご機嫌だったはずなのに取材の時刻にやや遅刻しそう。あわててバイクで飛び出す。
原宿の交差点で捕まってしまった。目に前に白バイがいっぱいいて,バイクのヤツが捕まってるなぁと思った瞬間には遅かった。普段はやらない無理な斜線変更で信号待ちの車の列の先頭に割り込み。こんな日に限って! 「ふだんやらないんですよ,今日は仕事で!!」と叫んでみても,「分かります,分かります,お仕事ですよね」と警官。がっくり。反則切符を切られる間にライターに電話。
取材先のY社で,DSLを使ったテレビ放送のデモと機材を見る。放送用のマシンルームまで見せてくれてる。「このへんは普通のケーブルTV事業者さんと同じで,このへんはISPさんと同じですね」と言われても,そんな基幹のシステムって実際に見るのは初めてだったからとても新鮮。そうか,こうなってたのか! と,写真撮りまくり。「インターネットと放送は融合する」というのはもう5年も前から言われてるけど,いよいよだなという印象。まさに「融合」の現場そのもの。ビジネス規模も,認知度も低いけど,これはスゴイことが起ころうとしているんじゃないだろうか。
本当のところ放送とネットの融合なんてナンセンスだと思う。「放送」という概念自体が薄らいで,ついにはなくなろうとしているんじゃないだろうか。マルチキャストでなければならない技術的,経済的制約がなくなったときに,誰がわざわざ時間を指定されてコンテンツも選べないような従来型の放送なんか見るだろうか。まあ放送コンテンツが持つパッケージングの魅力とそのプレゼンスの重要性が一夜にして消えるわけでもないんだろうけど……。それにしても,誕生以来50年にわたってほとんど何も変わらなかったテレビという存在が,ゆっくりと地殻変動を起こそうとしているのは確かだよな。テレビの持つマスメディアとしてのポジションの大きさを考えると,これから10年の間に起こるようなメディアの変容というのは,個人のライフスタイルの変化なんていうレベルじゃなくて,もっともっと高次のレベル,文化圏の形成とか国家帰属意識とか,そういうレベルにも大きなインパクトをもたらすんじゃないだろうか。
とか大げさなことを言いつつ,鳴り物入りで登場した衛星放送大手が軒並み転んじゃって,もはやあまり誰も口にしないのと同じようなものかもね,と一方で脳裏によぎるものを感じている自分もいたりして。

2003/01/23(Thu)

悪の思想

午後一で大手町へ。S社発表会。某製品を目当てに行ったのに全面的な製品発表会は長い長い。200人ほどが入るホールからあふれて立ち見が出るほどの発表会は,最近では珍しく活気のあるもの。元気のある会社っていいよな,わくわく感がある。
一旦会社に戻って,バタバタ原稿。夕方再び品川へ。ライターのA氏とS社取材。やっぱり人に直接会って話を聞くというのは基本だなぁとつくづく。取材後,すっかりS社のマーケティングに「なるほど!」と感心してたぼくに向かって,A氏は非常に辛辣で冷静なことを口にする。確かにぼくは単純過ぎたし,あまりに無知だ。やっぱり自分で記事を書き続けてないと,どんどん基礎体力が落ちていくような気がする。
『親鸞---悪の思想』(伊藤益,集英社),読了。親鸞の弟子唯円が著した「歎異抄」の中に登場する悪人正機説,「善人なおもつて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」。この日本思想史上もっとも知られた逆説的な言説の真意に迫ることで,親鸞の思想を解き明かす。この悪人正機説って,ぼくも子どものころ,よく父親に聞かされたりしたけど,これは一般には間違って理解されているというのが,まず本書の指摘。「悪人」というのは通常の意味でいう悪人じゃなく,存在論的な罪業を自覚し,自らの悪性を深く認識している人を指す。アウグスティヌスは親鸞が達したほどの透徹した悪の認識の深みまで達していなかったと著者は指摘するけど,基本的には親鸞の言う悪というのはキリスト教で言う原罪に近いらしい。人間は生まれながらに罪(の意識)を背負う運命にある。どちらも救いは超越的存在によってもたらされる。そういう視点で見れば,聖書にも悪人正機説と同等のたとえ話があることがわかる,という。なるほど。
親鸞研究を目指すわけじゃないので,著者の分析が親鸞の真実に迫っているかどうかなんてあんまり興味がないし,著者自身も,現代を生きる我々にとって意味があるのは「我々にとっての親鸞」だという。人間くささや弱さ,悪の自意識を持ちながら,自分を含めた人間を見つめ,人間を救うことを真摯に考え抜いた親鸞という人は,ぼくにはとても魅力的に映る。とはいえ,やっぱりあまりに現代にそぐわない部分も多い気がする。繰り返して起こる飢饉なんて現代に関係ないし,一般に現代日本人はそれほど生活苦を抱えていないし,この世をはかないものだとも感じていない。ぼくらは親鸞の時代の人たちと時代精神を共有していない。さらに,これは親鸞ではなく著者かもしれないけど,自然科学に対する「科学も1つの信仰」というスタンスにはとうてい同意できない。
人間の社会や個人の心性に,宗教的なるものはアプリオリに存在しているのかもしれないけど,その具現たる教義は現代の科学と整合性を取るべきだと思う。だって,弥陀って何だよって。雲に乗って迎えに来てくれるのか?

2003/01/24(Fri)

交通事故

お昼過ぎ,穏やかなオフィスに流れた社内メールに一瞬凍り付いた。隣の隣の編集部のI副編が自転車通勤中に後ろからダンプに突っ込まれて死んじゃったらしい。直接面識はなかったけど,昨日の夜,うちの編集長と喧々囂々予算の話をしてたあの人が,と思うと鳥肌。人間なんてホントに簡単に死んでしまうんだという当たり前の事実が,突如日常に安穏と暮らしている人々を雷のように打つ。まだ30歳そこそこで若手のホープ。子どもも小さいという。遺された家族の心中を思うと痛ましいけど,まだこれからというところだった本人は,もっとかわいそう。

2003/01/25(Sat)

禁酒じゃなくて

この日記を見てぼくに話しかけた人も含めて,ぼくがお酒をやめたことを知った人の多くは,やっぱり禁酒だと思っている。「いや,禁酒じゃないんです。やめたんです」といっても微笑だけが返ってくる。あまり本気だと思われていないらしい。
まあ1冊本を読んだぐらいで,毎晩ビールをリッター単位で飲み,2日に1本はボトルを空けていたような酒飲みがピタッとお酒をやめるなんて信じる方がどうかしてて,「ああ,よっぽどお酒で痛い目にあったんだな」「ああ,これはきっと二日酔いのたびに酒飲みが誓う類の禁酒だな」と理解する方が順当。
でも,ぼくはお酒をやめたんです。「本気でやめる」とか「決意した」というのと違っていて,もう決着が付いた話。
なんかの話に似てると思いませんか。そう「決着がついた」と言いながら,会社に留まっているぼく。だから,今やぼくが「やめた」といっても信用がないわけで……。ははは。

2003/01/26(Sun)

外交官

まだ風邪が治らない。少しひどくなったり,治りそうになったり,どうなってるんだ。って自分の身体のことなんだけど。せっかく筋肉が付き始めた身体が,みるみる縮んで行くのがわかるのが悲しい。ドーバー計画は,またイチからスタートか。どっちにしても,1.5ぐらいしか達成してなかったけど。
久しぶりにケンタロウと電話。アメリカで一緒にクラスを受けてから2年以上も経っている。仕事のきつさの割に給料の安い銀行を辞めて外交官を目指そうか,という話。まだ23歳と若いし,なんだってできそうに思える。

2003/01/27(Mon)

パーソナルコンピュータの父

アラン・ケイ氏とミーハーにツーショット
食事会でアラン・ケイ博士の謦咳に接する。食事のあと,ミーハーにもツーショットで写真。パーソナルコンピュータの父にして,GUIやオブジェクト指向の発明者。そりゃ写真ぐらい撮りますですよ。一般の人にとってコンピュータの世界の有名人と言えば,ビル・ゲイツなんだろうけど,ただただ人の発明やアイデア,あるいはビジネスそのものを横取りして金儲けしてきたゲイツなんか,コンピュータやその歴史を少しでも知っている人なら誰も尊敬してないと思うけど,アラン・ケイに敬意を抱かないコンピューターフリークはいない。
過去20年,コンピュータの世界では何1つ新しい発明が生まれていないというのは結構過激な意見だけど,アラン・ケイが言うと説得力がある。繰り返し繰り返し,stagnationと言っていた。やっぱり発想が軽やかだ。
アラン・ケイは大学生のときに数学と生物をやって,その後コンピュータに転向したという経歴を持っている。生物の細胞のような自律的なモジュールこそ,プログラミングの構成単位になるべきだと考えた結果が,オブジェクト指向だったんだとか。知らなかった! 確かにオブジェクト指向の発想は生物的だ。
食事会に来ていた20人ほどのおじさんたちは,みんなメーカーのエライさんとか大学教授とか。30そこそこの若造はぼくぐらいで,ちょっぴり居心地悪く,肉も喉を詰まり気味。
「ワインは赤白どちらにしますか?」と来て,ついに準備してた言葉を言ってみた。「ノンアルコールのものをお願いします」。お酒をやめて1週間が経った。

2003/01/28(Tue)

国語辞典

2日連続でネクタイ。七五三状態だってのはわかってますから,もうあんまり茶化さないでくれよと思いつつ,実は結構ネクタイも嫌いじゃないんだよなと思ってみたり。でも,慣れない格好をするものだから,なーんかヘン。ヘンだと思ったら,買ったばかりのコートの後ろ,裾を留めていたバッテンの糸がついたままだった……。
明鏡国語辞典という最近話題の国語辞典の上梓を記念して祝賀会。銀座でフレンチ。ATOK監修委員会の先生方のうち,お二方が辞典作成に関わったというので,ジャストシステムK氏のお誘いで,お相伴に預かる。若手で気鋭の国語学者,Y氏を捕まえて,日頃ギモンに思っている日本語のこと,英語のこと,言語のことを聞きまくる。あまりに熱心に話を聞いてたものだから,U川社長夫妻へのご挨拶がおざなりになってしまったし,どれがフォアグラだったかも結局良くわからなかった。それにしても当事者に直接辞典編纂の裏話を聞けるのって役得。うれしい。昨日のアラン・ケイといい役得続き。
なんだかの何年モノのワインを開けたので是非と言われるものの,ちょっと匂いだけかいでみて終わり。ちっとも飲みたいと思わないし,本当のところ,あんまりいい匂いだとも正直もう思えない。

2003/01/29(Wed)

40カ国語

まだ風邪が治らない。喉がおかしくなってきた。なのに久しぶりにバイクで出社。寒いっ! ズボン3枚,上も5枚も着る完全防備のつもりだったのに。
『40カ国語習得法---私はこうしてマスターした』(新名美次,講談社),読了。著者は謙虚で勤勉なお医者さんだから,タイトルにある「マスターした」というのは出版社が付けた大げさなタイトルだろうと思う。40カ国語と聞くとスゴイように思えるけど,この本で言うレベルのマスターなら1言語あたり1,2カ月もあれば足りるような感じ。
メジャーな言語の全体的な見取り図や特徴がつかめる本としておもしろかったし,ぼくの中ですっかり消え入りそうだった英語以外の外国語習得の野望に火を付けてくれたという点では読んで良かったけど,学習方法論は凡庸。といっても,凡庸以外の学習方法で効果のあるものは聞いたことはないけど。

2003/01/30(Thu)

もう1カ月

2003年も,もう1カ月が過ぎようとしている。はぁぁ。仕事が詰まってきて生活が単調なので,本を読む時間とご飯の時間ぐらいしか日々楽しみがない。風邪が治らないし寒いしで会社と家の往復ばかり。
『保守思想のための39章』(西部邁,筑摩書房),読了。珍しく途中で投げ出してしまった。かなりヒドイ本で,読者をバカにしているとしか思えない。流麗で気の利いた文体だけど,具体性にも論理性にもまったく欠ける。何が言いたいのかまったくわからない。というか,何も意味しない文章のかたまり。結論が当然保守なだけに退屈きわまりない。思想かぶれの大学生のレポートじゃあるまいし,なんでもかんでも西洋の思想家の決めゼリフを引用すりゃいいってもんじゃないだろうに。ふつうに日本語で書けば済むものを,やたらと用語をカタカナ表記して,それも恥ずかしいことに漢字の上にカタカナでルビを振ったりなんかして,さらにその語源学を弄したりする。一体読者に何を伝えようっていうんだ? もしかして西部邁って駄目駄目な人?

2003/01/31(Fri)

幻想の恋愛

四谷でカレーを食った帰り,お茶屋で読書。『悪の恋愛術』(福田和也,講談社) ,読了。お正月に読んだ『悪の対話術』の続編。続編というのがいつもそうであるように,そこそこの満足度。続編というのは1作目と同じ路線を外せば客の期待を裏切ることになる。だから忠実に同じ路線で行くことになりがちだけど,そうすると1作目のインパクトに劣るのは理の当然。
独特の文体や,たとえ話の軽妙さなんかは楽しめたけど「対話術」ほどの洞察がない気もする。帯にデカデカと「『もてる』技術と戦略」と書いてある割に,ちっとも役立ちそうなことが書かれていないというか,当たり前のことばかり。まあこの人,あんまり恋愛ってな顔してないからそんなもんか。
人間は一人で生まれて一人で死んでいく孤独な存在で,その我々が他者を痛切に恋い求めるというこの営みでこそ,この孤独がもっとも深刻になってしまう……。前書と同様に,スタート地点は絶望的。我々は誰も孤独であり,生来利己的である。他人とでも話せば分かり合えるとか,独りよがりでない恋愛ができるなどと思うところから,すべての欺瞞と不幸が始まるとする。「まず己の存在の悪(利己性)と孤独さを認識し,目をそらすことなく引き受けよ」という。こういう真実を引き受けて初めて,人生の喜びや,恋愛という人間が地上で許されたもっとも甘い果実を味わうことができる,という。もちろんエゴイストになって他人を搾取しろということではなく,エゴイストであること,すべては自分の快のためであることを自覚した上で恋愛をしろということ。オトナになるというのはそういうこと。前書での指摘,コミュニケーションの不可能性を前提として,それでもなお強く他者に興味を抱き,働きかける努力をせよ,というのと論理構造は似ている。
若い頃から孤独と虚無,利己的な自分から逃げられないと了解はしてはいたけど,ぼくは結局そこから一歩も動けなかった。ただシニシズムとニヒリズムを外見的な陽気さで隠し,自分でもなるべく意識しないようにするぐらいしかしてこなかった。1つの解決は,コレだったんだと思った。
土台にあるのは一方的で独善的な独りよがりかもしれないけれど,2人で紡ぎ出す幻想が,もし最後の最後の地点まで続くものなら,それはもはや幻想であると言い切る論理的必然性はない。

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NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>