the other side of my days
ご意見,ご感想,ごいちゃもんなどございましたら
NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>まで。


2003/07/01(Tue) 嘘
2003/07/02(Wed) わっちゃねーむ?
2003/07/03(Thu) お絵かき
2003/07/05(Sat) いまだ6分の1
2003/07/07(Mon) インターネットを生んだ思想の終焉
2003/07/08(Tue) 恥の順列
2003/07/09(Wed) プラトニック
2003/07/11(Fri) 次々とカミングアウト
2003/07/12(Sat) 450gハンバーグ
2003/07/14(Mon) 宝くじとのおつきあい
2003/07/17(Thu) Webあさり
2003/07/18(Fri) what sorta geek r ya?
2003/07/19(Sat) 明治天皇
2003/07/20(Sun) Blog
2003/07/23(Wed) サーフビートと津波
2003/07/24(Thu) さよなら東めた
2003/07/28(Mon) 悪魔のひき臼
2003/07/30(Wed) 食欲過剰
2003/07/31(Thu) 既得権益


2003/07/01(Tue)

この2カ月ほど、いろんな人にあまりにも違うことを言い(別の言葉で言えば嘘をつき)、しかもそれらがだんだん変わったりしたものだから、「こいつはワカランなぁ」と思われてるらしい最近のぼくですが、それはぼく自身にもぼくがよくワカラン状態になったことにも原因があるのでした。ここのところ、メチャクチャ泳いでるのは「なんか考えるの面倒だしとりあえず泳ぐかッ! 頭からっぽに!」という心理も手伝っていると自分では思っていて。たぶん人生の分水嶺にいたんだろうと思うけど、自分のノーテンキさと思考の停止ぶりには呆れるばかり。
2カ月前には、いろいろと自分に都合よく行きすぎてると思っていたけど、やっぱりそれはできすぎた話だったらしい。欲張りすぎたのか、世の中なめてかかりすぎたのか。
ある勢いをもって走り出したのに、割とあっさりと転んでしまった。自分では転ぶと思ってなかったし、転んだあとも転んだとは思ってなかった。今でも転んだわけじゃないと思っていて、何度振り返ってみても、あれは転んだというより、車にはねられたようなものだと思っている。……ともかく、出鼻をくじかれた。で、放り出された路上でしばらく呆然としていた。ぼんやりしながらも、不思議なことに妙にさばさばした気持ちで。
抽象的なたとえ話ですが、続けると、こんな感じです。呆然とへたり込んだ路上は、実はコンベヤーのようなもので、すぐに立ち上がって走り出さない限り、ズルズルともと来た方向へ引き戻される、そういうことは分かっていたのだけど、どうにも走り出す気にも、立ち上がる気にすらなれなかった。立ち上がる方法として、その時に数え上げた選択肢は少なくとも7つか8つはあったのに、ぼんやりしている間に、それが5つに減り、3つに減り、そして最後には実は選択肢なんてなくなっていた。
と、やや消極的な決定ではありますが、長期有給休暇で2カ月経過して結局戻りました。7月1日付けでMAからWAに転属した形です。媒体変わりました。フロアは同じです。
気分は新鮮。新しいこと、新しい人々というのはワクワクするものです。まして元気のある部署。同じフロアでありながら、端から端への移動なので風景もずいぶん違ってみえます。食うのは相変わらずタイカレーです。

2003/07/02(Wed)

わっちゃねーむ?

新しい名刺の申請で、名刺裏面の英文のほうに「NISHIMURA Ken」と書いたら、庶務のおねえさんに「ほかの人は、名前をひっくり返してますけど、これって……?」と聞かれた。姓名のローマ字表記で「Ken Nishimura」とやるのが、新らしい部署界隈では標準らしい。前の部署では、Ken NISHIMURAとかいう表記も含めて結構いろんな流儀が入り乱れてたけど。
別にどっちでもいいんだけど、姓名の順をひっくり返すのって、そろそろちょっと恥ずかしくないですかね? 調べてみたら、国語審議会が「姓名の順はアルファベット表記であっても日本の習慣のままで」と答申したのは、2000年9月。もう3年近くも経っているし、ネットの世界ではだいぶ定着してきているのに。パスポートだって、いまはこの表記でしょう。いや別に国語審議会に権威があるからとかいう話じゃなくて、彼らの主張は妥当でしょう。
自分の名前を書くのに、文字が変わったからって順番を入れ替えたりする自虐的迎合主義の国民は日本人だけ。韓国人でも中国人でも、どこの国の人間であってもそんなことはしない。迎合する必要なんて少しもない。たとえば欧米人が中国人の名前を書くときには、元の順番のまま、「毛沢東」なら「Mao-Zedong」と表記して、これで何の不都合もない。
明治以来いまだに日本人は欧米人になりたいと思っているわけだし、日本人は日本語を英語やフランス語にしたいと内心思っているわけだから、名前をひっくり返すのはその1つの現れであって、別に自虐的ってこともないのか。ぼくも子どもの頃には、ローマ字で名前をひっくり返しただけで、何か自分がかっこよくなったような錯覚を覚えたものだった。
互いの文化を尊重する、ということに必要なのは、自分の文化を相手に押しつけることじゃない。そういうことを主張して、この日本式「姓→名」表記を「世界の主流に合わせず自分流を押しつける傲慢」と評する人もいるけど、それはまったく逆だと思う。自分の文化に無知で、その伝統も守れないような人たちが、他人の文化を尊重できるわけなんてない。名前をひっくり返すような人に限って、「毛沢東」を「もうたくとう」と呼ぶことに何の疑問も感じていなかったりする。
ものの分かった欧米人なら、日本人が姓名をひっくり返すのを見て、そこに日本人の卑屈、あるいは不気味さを感じるわけです。だから堂々と、自分の名前を、自分の発音で言うのがいい。相手が眉をひそめてから初めて、名前の順の説明をして、それから英語風の発音で言い直し、最後にファーストネームかあるいはファーストネームの短縮で呼んでくれればいいよ、と付け足せばいい。
名刺の表書きに、なにやら「スペシャリスト」というタイトルを入れるかどうかと聞かれたけど、これはパス。「○○○○スペシャリスト」ならまだしも、ただスペシャリストと書いても、ヘンじゃないでしょうか。名刺に「専門家」と書いてるヤツがいたらアブナイでしょう。
と、そんなこんなで、文字通り借りてきた猫のように、端っこのほうで、ちんまりと静かに座って巣作りをしています。ご挨拶のメールをほうぼうに送りつつ。

2003/07/03(Thu)

お絵かき

去年の暮れ、突然デッサンの入門書を4冊買い、鉛筆6本も新調したのに見事に三日坊主になったきりだったお絵かき。ふと気を取り直して鉛筆を握ってみた。
いくら練習が必要だと説かれても、レモンも木箱も描きたくない。ワインのボトルなんてつまんないし、目の前に転がってるからって、マウスを描いても正直つまらなかったのだ。やっぱり人間でしょう。というわけで、無謀にも顔を描いてみた。
眉や目の描き方のお手本を真似てみると、なんとビックリ、ぼくが描いてもそれっぽく見える。当たり前か……。数種類のパターンと法則を知るだけで、結構いろんな目が描ける。で、調子に乗って横顔を描いてみたら、思ったよりも「それっぽく」なった……、と思いませんか? 人の顔をこうやってちゃんと描いたのって、よく考えると生まれて初めてかも。線の引き方も下手だし、形の描写も不正確だったりと、まるでデッサン力なし状態ですが、これなら楽しく続けられそうな気がしてきた。
人の顔をマトモに描くのは生まれて初めてかも。

2003/07/05(Sat)

いまだ6分の1

12時間睡眠。なんでこんなに眠れたのか不思議。天気最高やる気まんまん。リンゴとバナナとヨーグルトを食べてプールへ。
東京体育館のプールは、ほかの都内の公営プールとちょっと違う。1時間おきの強制休憩時間がなく、入場から退場までの2時間という制限時間もない。いつもは、だいたい20〜50分泳いで10分休憩。休憩後に20〜50分泳ぐという感じで連続して1時間以上泳ぐことがない。そういえば、連続して1時間以上泳ぐ経験ってもう何年もない。
今日は脳味噌が腐るほど睡眠もとったし、たとえ泳ぎ終わった後に使い物にならないぐらい疲れても、別に困ることもないので、どこまで行けるか「長距離」を目標に泳いでみた。
一応、周囲とのペースの調整もあるし、単位として分かりやすいので50m60秒というペースを崩さずに、コンスタントに1km20分ペースをキープ。3kmは楽勝でぴったり1時間。4kmでも程良い疲労。泳ぐ前には8kmとか10kmという数字も考えてなかったわけじゃないので、どこまで行けるかなぁとノンキに考える。ところが、5kmを過ぎるとガクッと疲れが……。なぜか腰と足首が痛くなるし、腕も重たくなる。で、6kmで終了。最後の500mはちょっとペースダウンしたので、所要時間は合計2時間3分。プールからあがって直後は、階段の前で足を踏み出すのを少しためらってしまうほどの疲労。くたくた〜。
1日に泳いだ距離としても、連続泳続距離としても自己最高記録だ。もしかしたら子どものころも含めて最長記録かもしれない。それでもドーバー海峡って、この6倍以上の距離があるんだよな……。ペースを落とせばもう少し行けるかもしれないけど、ペースを落とすと所要時間が12時間に収まらなくて、日暮れまでにフランス側にたどり着けない計算になる。
ていうか、ブレスのときにさざ波程度で水を飲み込んでしまうのって、どうすれば防げるんだろうか。プールの場合はカンと技術力という気もする。でも隣を泳ぐスイマーの作るさざ波ならいいけど、海の波はどうだろうか。海水を12時間もちょろちょろ飲み続けたら、胃がおかしくなっちゃうんじゃなかろうか。子どもの頃、海の遠泳といえば平泳ぎだったからよく分からない。ちなみに、平泳ぎはクロールに比べて遙かに遅くてエネルギー効率も低いので、子ども遠泳大会以外の遠泳大会では、みんなクロールで泳ぐらしいです。
うーむ。やっぱりドーバー横断って、まったく現実味に欠ける目標なんだろうか。どうやれば行けるんだろうか。体力も筋力も必要だけど、練習に割く時間も相当必要だろうなぁ。資金は旅費も伴走船のチャーターも含めて50〜60万円ぐらいと思ってるけど、どんなもんでしょう。仕事、その他もろもろの条件に恵まれて、ようやく5年後に実現できれば万々歳ってとこでしょうか。あまい? いや、本気で行こうと思ってるわけでもないですが、まるっきり口から出任せってわけでもないんです、たぶん。
とりあえず、そろそろ水泳仲間を作って、OWS(Open Water Swimming)に挑戦してみたい。梅雨が明ければ、そろそろ夏ですね。

2003/07/07(Mon)

インターネットを生んだ思想の終焉

IT系の論客で、最近ますます注目度を高めているレッシグ教授の『The future of ideas---The fate of the commons in a connected world』(Lawrence Lessig, Random House)、読了。邦訳が『コモンズ』というアニメキャラの名前のようなタイトルで出版されたアレ。遅ればせながら読みました。これは確かに重要な本です。これほど本質に立ち返って、ネットワーク時代の知的財産のあり方について論じた本というのは、ほかにないんじゃないだろうか。議論の幅と深さは一級だし、歴史から引っ張ってくる過去の事例も教訓に富むものばかり。うーん……。日を改めてメモを残したい本。

2003/07/08(Tue)

恥の順列

酒も飲まずに異性とセックスの話ができる女性でも、話がオナニーに及ぶとぴったり無口になる。たとえ体を許した男(この表現って死語? 性差別的表現?)にであっても、オシリの穴を見られるのはイヤ。「恥ずかしい」には順番というのがある。その順番のトップに来るもの、誰にも言えないし見られたくないモノってのは、男女ともにオシリの穴じゃないか。と、そんな話を日曜日に焼肉を食べながら異性の友達としていた。いや、話してたってことは、やっぱり恥ずかしくないのかもしれないけど。
いや、痔なんです。食事中すみません。今までも違和感を感じることとか、トイレットペーパーに血を認めることがなかったわけじゃないです。でも、今回は違うんです。痛いんです、すごく。会社を休もうかと思うほど。力説しても仕方ないですが。
人口の6割とか7割が人生のどこかの時点で1度や2度は、かなり深刻な問題をオシリに抱えると言われてるのに、あんまり話は聞こえてこないと思いませんか? 親族では結構いるけど、他人となると深刻な痔の話はあまり聞かない。あれほど大量にCMが流れてるのに、使った話もほとんど聞かない。経験者の数はぎっくり腰と同じぐらいはいるはずなのに、ぎっくり腰ほど聞いたことがない。これって膣痙攣や腹上死と同じで、実際に起こっている数よりも遙かに少ないイメージを、非経験者は持ってるんじゃないだろうか。みんな痔のことは話題にしない。でも経験者は知っている。思い切って初体験を知人に話したら、実は知人のほとんどが体験済みであったことを……、みたいな。
「絶対に誰にも言うな」と強く口止めされたので、名前は絶対に書けませんが、ぼくの先輩のフリーライターで原稿が遅くて有名なロボット好きのAというヒトがいるんですが、その人なんてヒドい痔のために最近手術までしたらしいんですが、ほら知らなかったでしょう?
3日経ってもオカシイので今日は出社前に薬局に寄ってみた。で、やっぱり選ぶわけです、店員を。男性ですよ。白衣を着てて医療関係者っぽさを醸している人、限定。ぼくの予想では薬局勤めのヒトなんて、痔の悩みごとき毎日のように聞いてるはずだから、努めて平静を装ってさらりと言いました。「あの、痔なんですけど」。
さらりと答えが返ってきた。丁寧に、メーカー別、症状別で、チョイスを教えてくれる。20代後半ぐらいの、なかなかさわやかな男性店員ですが、座薬の使い方を示すときに、いちいちズイズイズッコロバシのように、指を丸めて作った穴に、もう一方の手の人差し指を突っ込んだり抜いたりするのが卑猥な感じがしなくもないわけです。
オシリの穴にまつわる「好ましくない」さまざまな状態を指で巧みに描写するのを見ながら、初対面のヒトと恥ずかしい部分のことを話すというのが不思議な感じがして、なぜだか急にイタズラしたい衝動に駆られました。
「座薬はどういうときに使うんですか?」「内側に炎症などの問題があるときですよね、あるいは中から外に出ちゃってるとか」「えっ、ぼくのはそんなにひどくないと思うなぁ」「いつもよりカタイのが出て切れちゃったなー、とかなら、軟膏ですね。どういう状態ですか?」「いや、鏡で見たわけでもないのでわからないんですよね……」。と、そこまで言ってヨシここだと思った。「そうだ、いまちょっと見てもらえますか?」。真顔でベルトに手をかけ、陳列棚を前に身をかがめている店員に少しオシリを向けてみた。ぷりっ。予想に反して店員はぴくりともせずに固まってしまった! 絵に描いたような緊張。コマッタ! 長い長い1秒が経過すると、その店員は表情も視線の方向も変えずに、ただ真顔で返事をしてきた。「いや……、やめておきます」。
笑ってもらえると思って言ったのに、目も合わせてくれないもんだから、ぼくはベルトにかけた手のやり場に困ったわけです。うーん、東京ってヘンなヒトも多いから、向こうは向こうでかなり激しく緊張しちゃったのかもしれないけど(後から考えると楽しい)、どう考えても冗談ですよね、これ……。
「ある薬局店員の日常」とかいうWeb日記に、今日の日付で「今日はヘンな痔野郎が来店した。いきなりヤツは見せようとしてきた。東京は恐いよ、かあさん」とか書いてあったりして。

2003/07/09(Wed)

プラトニック

『饗宴』(プラトン、久保勉訳、岩波書店)、読了。2000年以上も昔に地球の向こう側で書かれた本が、いまこうして巨大な大陸を隔てた地で読めるというのも驚きだけど、完訳から50年というかびの生えた日本語訳の読みづらさもけっこう驚き。
旧約聖書に出てくるオナンが、膣外射精をしたという話があるだけで後々世の中の人々にマスターベーションの別称「オナニー」としてマチガッテ記憶されるようになったように、少年愛(パイデラステーヤー)こそ至高のエロスの形態であるとしたプラトンもまた、何かの誤解によって純愛を指す言葉の「プラトニックラブ」にマチガッテ名をとどめている。皮肉なもんだ。
『饗宴』は、そんなプラトンの描き出す、今から2419年前のある夜に催された葡萄酒飲め飲め愛を語れパーティーの様子。人類の師、ソクラテスを含む哲人たちが次々に愛(エロス)について演説をぶつ。詩人あり、哲学者あり、ただの酔っぱらいあり、いくら思いを寄せてもソクラテスに抱いてもらえずに傷ついた青年あり……。当然のように全員崇高なホモ野郎で、少年愛をうたいあげる。でも持って回った修辞句とぎこちない(古めかしい?)邦訳のために、ほとんど「ネタ」のようにしか思えない。
プラトン対話篇中でも白眉の名作と言われるけど、異様なまでの話法の入れ子構造といい子供じみた修辞法といい、ほとんど屁理屈のような誘導尋問といい、この程度のテキストがなんでギリシア古典の傑作なんだか、ぼくにはワカランぞ。
エロスは肉体の美から、精神の美、さらには美そのものへの渇望となり、それは知恵に対する愛、つまりphilosophiaになるってことで、なんだ単に心理学で言う昇華のことやんかって。しかも、哲学賛美ってことは結局自分らのことを賛美してるわけで、同性愛が自己愛と表裏をなしているっていうゾッとしない観察をますます裏付けるような。
詩人アリストファネスの話に出てくる、「人間には3つの性があった」というのって、あちこちで聞いたことのある話だけど、元ネタって神話なのかなぁ。3つの性というのは男と女と「男女(おめ)」。男女は、男と女が1対くっついていて、シャム双生児のような丸い形をした人間。4本の手と4本の脚を持ち、急いで移動するときには8本の肢を使って体操選手が側転するように、クルクル回転しながら地上を高速に移動したそうな。
気位が高くて思い上がったこの男女にたいして、怒ったゼウスは稲妻で殺してやろうかと思うんだけど、殺しちゃうと礼拝も犠牲も跡を絶つので神としても困る(と、このへんがギリシアの神々の人間くさい発想)ので、まっぷたつに切断してしまう。で、1人を切るたびにゼウスはアポロンに命じて、首を90度回転させた。人間が常に自分の切り口を眼前に見ていて、もっと温順な者になるように。
ぼくらが身体の「前」だと思っていたものは、実は切り口だったんだ! ぼくらは前を向いているんじゃなくて、常にヒラメのように横を向いてるんだ! で、当然切り離された半分ずつの人間たちは、もう片方の片割れを探し求める。で、それを見つけるや腕を絡めて抱き合っちゃうという話。片時も離れたくない。
ポイントは、人間は昔は1つの性だったと言ってないところ。つまりまっぷたつにされた人間もいるんだけど、そうじゃなくてもともと男だった性も、女だった性もある。ゲイとレズビアン。なんとギリシア文化は同性愛に寛容なことでしょう。むしろ異性愛をハッキリ格下だと見てる。

2003/07/11(Fri)

次々とカミングアウト

やっぱり予想通り結構みんな経験済み。トピックさえ持ち出せば多くのヒトは語るに落ちる状態。ややひそひそ声のヒトもいれば、おおっぴらに「オレは1時間語れるぜ」と言うヒトもいる。なーんだ、やっぱりみんな痔、やってるんじゃーん。手術を受けたというケースも2件に増えた。
あれこれ話を聞くに、どうもぼくのはそうヒドイ状態でもないらしい。本当にヒドイ場合は、ビワ大サイズのモノがある日とつぜん直腸からぼこんと出てきたりして、その痛みたるや1000度に熱した鋼鉄の棒を突っ込まれるがごとく、、、(以下、自粛)。あ、これはちなみにT社某誌副編Yさん(32歳)談です。なんでも直腸内に数年単位で潜伏していた「イボ」(ストレスやら不摂生で発生)がある時、外に出てくるなんてことがあるらしい。で、Yさんは、それからというもの、そのビワと2年越しのおつきあい! うはー。

2003/07/12(Sat)

450gハンバーグ

1週間ぶりのプール。千駄ヶ谷へ。やや長めに4200m。途中、3000mのところで休憩しつつ水分補給。長距離を給水なしで泳ぐのって、脱水症状になるので良くないんだって。
新宿Gold Rushでハンバーグ。メニューをよく見たら、1パウンド(450g)ハンバーグというのがあったので食べてみた。なんか450gと聞くと大きそうだけど、レギュラーサイズの150gのを3つ、と言えば大したことないような。量が多いのはうれしいけど、ちょっと単調すぎて途中で飽きた。
渋谷・新宿に店があるGold Rushのハンバーグ。昔ながらのって感じ。

2003/07/14(Mon)

宝くじとのおつきあい

サマージャンボ宝くじの発売が始まったとかで、朝のテレビで西銀座チャンスセンターという売場の様子を映していた。銀座は、1等の当選者がもっとも多く出ている人気の売場とかで、ものすごい混雑。
北野大がコメントを求められて、「私は買いませんよ。当たったら人生狂っちゃいそうだから(笑)」と答えていた。凡庸きわまりないけど、ある意味では完璧な答えじゃないだろうか。こういうのこそ、ぼくが用意しておかなくちゃいけない答えなんだろうと思った。銀座に宝くじを買いに行くヒトと話すとき、ぼくはこういう風に言わなきゃいけない。むかし、銀座に宝くじを買いに行った兄貴とケンカしたことを思い出した。ぼくは他人の税金を計算するような仕事をしている兄貴が、そんな簡単な確率のリクツがわからないなんて信じられなかった。でも、世の中のほとんどの人は算数なんてできない。
感じ悪いヤツになるのはイヤ。でも、なんでぼくがわざわざ自明の論理に目をつむってまで、他人に話に合わせなきゃいけないんだとも思う。なんかうまい方法や回答はないだろうか。
宝くじ、血液型占い、占い全般、宇宙人、その他もろもろあるけど、本当にぼくはどうしていいのか最近わからなくなってしまった。たぶん、よくよく考えて、パターン別回答集を用意しておかないといけないんだろう。そうだ、そうなんだ。ここには何か、ぼくがよくよく考えないといけない何かがある。「期待値のことも知らずにギャンブルに手を出すのが、そもそも馬鹿げてる。宝くじの期待値を知ってたら手を出すはずがない」と宝くじを買う行為自体に否定的なぼくだけど、その実、自分の言葉の持つ効果や、コミュニケーションの背景にあるモノ、その目的や相手に対するスタンスなど、そういった全体的な「コミュニケーションにおける期待値」を計算しそこねている。これはきっと修正できる。一番大きな心得違いのパラメーターは、「説明すれば分かってもらえる」ということの確率なんだろう。
自分の考えを曲げてでも相手に同調することのマイナス面をぼくは過大評価しすぎてるし、逆に、うまく相手に同調することのプラス面を過小評価しすぎていたんじゃないだろうか。相手に同調するというのは、こちらの心構えや相手への敬意、好奇心、それに何よりも慣れ次第で、うまくできるようになるんじゃないだろうか。むしろ本当のところ、話の内容なんて無関係に同調というのは可能なんじゃないだろうか。「人間ってのは共感する動物なんや!」というのを感じることはありますよね。常に、上手にハーモニーしてくる「感じのイイ人」っていますよね。あれは才能なんだろうと思うけど、そういうのを意図的に獲得できないって理由もないかもしれない。
愛想が良くて、聞き上手で、感じのイイ人になりたい。

2003/07/17(Thu)

Webあさり

出社前にプール。31分で1750m。微妙に速いぞ。1時間で3500もいけそうな気がしてきた。
毎日、ものすごい量のWebあさり。読みまくり。死ぬまでずっと読んでろと言われても、嬉々として読み続けると思う。

2003/07/18(Fri)

what sorta geek r ya?

オレはキーボードにうるさいぜ、ってパソコンおたくはたくさんいるけど、こだわり方にもジャンルの違いがある。ある人々はタッチにこだわる。ある人たちは英語配列にこだわる。ある人たちは音にこだわる。ちょうど車好きにもバリバリにエンジンをいじる人から、内装に凝る人や、見てくれにこだわる人といろいろあるように。
最近また使い始めたヘンタイ・キーボード。過激でしょ。
同じ「geek(おたく)」といっても、いろんなタイプがいる。そういうのをぱっと分かる形で示すといいんじゃないか。というので作られた、Geek Codeというのがある。かなり古い(初出は93年らしい)けど、おもしろいので自分のコードを作ってみた。このコードで一体ぼくがどういうgeekなのかがわかる。
 
 -----BEGIN GEEK CODE BLOCK-----
 Version: 3.12
 GTW$>CS d-- s: a C++++ UL++(+++) !P>R++ L++>+++ E++ W++ N-
 !o !K w--- O+ M- !V>+ PS+ PE++ Y PGP t- !5 X(-) R(-) tv-
 b+++>++++ DI- D G++ e++ h r(+) y+*
 ------END GEEK CODE BLOCK------
 
 
ぱっと見るとPGPの署名に見えるんだけど、実は人間可読。頭のGTWから簡単に説明すると、Geek(おたく)、TW(テクニカル・ライティング系)。ドルマークは、それで金をかせいでまっせという意味。「>」は将来そうなりたいと思っている希望。ぼくはCS(Computer Science)を入れてみた。
各アルファベットはそれぞれ質問項目の頭文字を表していて、プラスとマイナスの数で、それに対するその人の嗜好が示される。たとえば、dは、dress(ファッション)のことで、ぼくの場合、マイナス2でその選択肢は「いつもだいたいジーンズとTシャツ」とかなってる。まあ平均的なおたくでしょうか。C(コンピュータ)にはフルにプラスがついてて、「できれば脳味噌にコンピュータを埋め込みたいと思うほどのコンピュータおたく」だったかな。ULは、UnixはLinux派でまあまあ使えまっせ、と。ビックリマークがついてるヤツは回答拒否、あるいは回答不能の項目。VMSとか使ったことないでっせ、と。でも伝説的(?)なマシンだし、できれば使ってみたかったから、「!V>+」となる。
t(スタートレック)は、ぜんぜん興味がないのでマイナス。Babylon5というやっぱりSF系ドラマがあるらしいのですが、見たことがないので、これはビックリマークで!5。なんか人によっては「Babylon5なんて認めん!」ということもあるらしく、こういうのはその筋の人でないとわからない。w(Windows)に関してはマイナス3つ。ぼくのマイクロソフト嫌いを示してる。「マイクロソフトがなければ、ネットの世界もOSの世界も10年早く進化した」とぼくは思っている。一番最後のyは、性別とセックスを表している。女性ならx、男性ならy、性別を明かしたくない場合、あるいはその他の場合はzで示す。プラスとアスタリスクの意味を知りたい方はぜひ大元のサイトで。このほか、上のコードには年齢や体型も入ってます。
このGeek Code、検索してみたら日本語訳がない。そもそも内容も古いし、いっそ私家版日本語バージョンを作ってみたくなった。Webでフォームの質問に答えればその人のコードを生成してくれるジェネレータを公開すれば、けっこうウケたりして。いろんなコードを作って投稿してもらえるようにすれば、内輪で盛り上がれたりするんじゃないだろうか。メールのシグニチャにつけるのが流行したりすると、結構いいかも。

2003/07/19(Sat)

明治天皇

『明治天皇を語る』(ドナルド・キーン,新潮社)、読了。ドナルド・キーンってほんっと日本通だよな。外国人に日本のことを教わるのって変な気分だけど、外国人の視線が残っている彼の語り口はとてもおもしろい。読んでないけど、キーンさんは明治天皇について大きな本を書いたらしく、それに関する公演をまとめたのがこの本で、さらりと読める。日本の歴史の中で、平安や元禄といった時代も好きだけど、明治という時代が非常に好きだというキーンさん。明治という時代や、その時代の制度を作り、時代の空気を作った明治天皇に注ぐまなざしも、とても人間らしい暖かさにあふれている。この本は明治天皇の人生や生きた歴史を描く本ではなく、もっと明治天皇の素顔っぽいところを描き出す本。大酒のみで風呂嫌い。医者も嫌い。写真も嫌いでほとんど残ってない。立派な体躯に立派なひげ。倹約をむねとし、権力にも奢らない。勉強は好きだったか、語学はどうだったか、外国人の謁見はどんな風だったか、洋服や食べ物の好みはどうだったのか。
同時代の他国の皇帝と比べても、ぬきんでて立派な、まさしく大帝と呼ぶにふさわしい皇帝だったという。実際、明治天皇崩御にさいして、各国の新聞はこの皇帝を褒め称え哀悼の意を表したという。それはなにも偉そうだったとか知識が優れてたとか、政治的に大活躍したとか、そういうことではなくて、世の中を治めるために自分が何をすべきかを常に考え、自分よりも自国民や自国の歴史を優先して行動した、義務と倫理に生きた人だったから。キーンさんによると、ドイツのヴィルヘルム二世はもうまったく誉めるところなんてないし、ロシアのニコライ二世もひどいもの。たとえば、ヴィルヘルム二世は「捕虜なんて皆殺しにしてしまえ。ドイツの恐ろしさを思い知らせてやるんだ」とか言っちゃう。
天皇崩御に際して、フランスのコレスポンダンス紙が書いたものはこんな風。「天皇は、場合によて大臣たちの政策を左右することがあった。なぜなら天皇の活動、天皇の知性は疑うくもないものだったからである。しかし、天皇の主要な業績は国家の元首であること、また国民生活、国民感情の生きた象徴であることだた。天皇は、それを傑出した賢明さで果たしたのだた。(中略)偉大な王とは、たとえばスペインのフェリペ二世のように国事を自ら操ろうと欲する者のことではない。優れた大臣たちに信頼を置き、王権の威光でこれを支援する者のことである」。今でも天皇は国の象徴ということになっているけど、つまり国家の骨というか軸のようなもの。日本の長い長い朝廷と幕府の二重性というのは、実はよくできた政治システムだという話があるけど、明治天皇はそういうことを激変の時代にもちゃんとわきまえていた。使う気になれば使えた強大な権力を、明治天皇は使うことがなかったし、自分の発言が即命令になりうるような場面で安易に発言するようなこともなかった、と。権力を掌握すると、それがどれほどのパワーなのか使ってみたくなるのが人間だけど、明治天皇はそんな俗っぽい誘惑とは無縁だった。
明治天皇の強い倫理観や義務感がどこから来るかと言うと、それは儒教。それから日本の歴史。そして国民への愛。
当時、急速に衰えつつあった能を、日本のオペラだとして復活させるべきと考えたのは岩倉具視で、それを実際に復興させたのは明治天皇。外賓をもてなすときに音楽とダンスというのは言葉の問題を越えられる。いまでは能楽は誰もが思っているとおり大切な文化的遺産だし、世界に誇る芸術という認識になっているのだろうけど、当時の脱亜入欧を叫ぶ時代思潮から言えば、古くさいダサいものだったんだろう。でも、のちのち能は外国からやってくる人々を感動させることになる。鹿鳴館を作って欧米人の猿まねをして失笑を買うのとまったく正反対。
気になった岡倉天心の引用。「日本は美しいものを作り芸術にふけっている間は野蛮だと尊敬されなかった。ところが今、満州の戦場で清国人をたくさん殺し始めた途端、文明国と尊敬されるようになった」。さすが芸術家なヒトコト。当時のインペリアリズムの欺瞞は、今から見ると滑稽ですらあるのだけど、当時もそう感じてたわけだ。
ほとんど毎日の天皇の行動記録が残っていて、何年何月何日に何をしたかということはわかるのに、周囲の証言に頼らなければいけないものは意外なほど、わからないことが多い。言葉遣いもその1つ。明治天皇の時代、まだ標準語はないし東京方言なんて汚い言葉だと思われていたから、明治天皇も、当時(も今も!)もっとも美しいとされていた京都弁を話したのじゃないか、とキーンさんは想像する。

2003/07/20(Sun)

Blog

パソコンオタク的なネタをBlogしてみたくなった。MozillaがSVGをネイティブサポートしたらしい、とか、ベイジアン確率を使ったスパムフィルタを実装したベンチャーがいるらしい、とか。
Blogらしく英語で書くというのも1つの選択。最近、英語で日本の情報を発信している人たちがちらほら出てきていて、シリコンバレーのベンチャーキャピタリストあたりから注目されたりもしてるという話。95年ごろ、「ホームページで世界に情報発信」という今にして思えばちょっと恥ずかしいことをみんな言ってたけど、あれから8年して、ようやく日本人も英語で情報を発信するようになってきたってことか。
今ではパソコン業界の名物的存在となっているようなところもある元上司にも、そろそろBlogを始めた方がいいとさんざん進言してるのだけど、やっぱりまずは自分からやらないとダメだな。

2003/07/23(Wed)

サーフビートと津波

日本あたりにやってくる波も、その生まれはというと、はるか南洋の海上だったりする。低気圧の作る風に吹かれたりなんかしてできた海水のうねりが、何千キロも伝播する間に波形を整える。このとき、最終的に海岸に到達する波というのは、3つか4つずつで比較的大きめのものが連続する。この3つ4つの波のまとまりをセットと呼び、セットが数分おきにやってくるリズムをサーフビートと呼ぶ。
月刊の雑誌における締め切りというのは津波のようなもので、週刊はサーフビートだなと思う。いちおう月刊でもページごとに五月雨式に納期がやってくるものだけど、基本的には月に1度の大団円というのがある。沖合に波が来てるぞー、あとどのくらいでやってくるぞーとか言いながら眺めてて、やがてどばばーーん、という感じで波に飲まれる。飲まれる直前には「でかい!」とか思う。で、津波が去るとしばらくはふやけた手のひらやら指なんかを眺めたりして、ちょっとほうける。ぼんやりしたいんだけど、もう向こうには次の津波が……、という繰り返し。
週刊は、常にさざ波がたくさんやってきている。5、6冊はパラで走ってたりするので、自分の浜にうち寄せる波はどれとどれで、いつその波に対処しないといけないのかを把握しておく必要がある。
津波の上陸タイミングは明白すぎるぐらい明白なので、あんまりフクザツなマニューバーを必要としない。でも、複数のさざ波に対処するには正しく波をさばいていく必要がある。というわけで、週刊のほうがシステマティックに動いてるなと、ぼくの印象。システムがいい加減だと、みんな波の合間におぼれてしまうからなんだろう。
ようやく忙しくなり始めた。人間、忙しいくらいのほうがエネルギー準位が高くていいもの。

2003/07/24(Thu)

さよなら東めた

とうとう東京めたりっく通信のサービスが停止。3年近くも使い続けてきたけど、ついに終了。ああ、ADSL時代の幕開けの立て役者となるはずだった東めたよ……。いい意味でも悪い意味でも典型的なベンチャーだったんだろうな。寂しい。東めたの存在がなければ、日本のADSLの幕開けは1年ぐらいは遅れたかもしれないというのに、くやしいほど評価されていない彼らは哀れだ。
で、代わりに届いたヤフーのトリオモデムをつないでみたら、何だか微妙にヘン。直結したLinuxからはWebも見えるしメールも読めるけど、dhcpdがエラーを吐いてWindowsマシンがネットにつながらなくなった。あれこれ微調整は必要か。しかし、なぜかネームサーバにpingが通らない。これは気持ち悪い。
速度計測サイトでスループットを測ったら1.8Mbpsと、前より50%ぐらいは速くなった。体感できる違いだ。いちおう12Mbpsコースだけど、だいたい予想通りの結果。うちはNTT局舎から遠いから。

2003/07/28(Mon)

悪魔のひき臼

どこだったかの南の島に行くと、待ち合わせの時間とか、会合終了の時間とかを確認するのに時計に目をやるようなことは、もっとも忌むべき行為とされているという。平気で2時間でも3時間でも予定が狂う。で、彼らは時間というのを「悪魔のひき臼」と呼ぶそうな。なかなかいい表現だと思う。
ブラジルあたりも、かなりそんな感じ。ブラジル人と一緒に旅行したとき、おどろくほど何もかもルーズなのは、たまたまそいつがそうなだけかと思ったけど、そういう文化らしい。
ノンビリいこうぜ。

2003/07/30(Wed)

食欲過剰

久しぶりに会う人に「すごいやせたねー」と言われる。体重はせいぜい2、3kgしか落ちてないけど、贅肉が結構落ちたらしい。確かに鏡を見ると、ほっぺたあたりがスッキリして見える。水泳効果てきめんだ。1カ月に20〜30kmぐらい泳ぐと目に見える効果が出るらしい。
でも、ちょっと恐くなってきた。というのも、ここのところ気ぜわしくてあまり泳げていないから。泳いでないのに食欲レベルだけはぐーんとレベルアップしたままで、かなりガツガツと食ってる。甘いモノも、ますます欠かせなくなりつつある。
水泳とかの運動は、やめたときに逆に太りそうだからと、あんまりやりたくないという人がいるけど、まあ、そういうこと。けど、そんなリクツって言い訳でしょう。ぼくには関係ねーです。だって一生泳ぎ続けりゃいいだけでしょ? なんちゃって。
今月は、明日泳がないと20kmに届かない。明日は早起きして泳いでから仕事に行こう。

2003/07/31(Thu)

既得権益

長期的に危険なのは既得権益ではなく、理念だ−−ケインズ

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NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>