the other side of my days
ご意見,ご感想,ごいちゃもんなどございましたら
NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>まで。


2004/06/06(Sun) 睡眠小脳学習?
2004/06/07(Mon) 明治維新
2004/06/10(Thu) つゆ
2004/06/12(Sat) 久しぶりの休日
2004/06/13(Sun) 霊性的直覚
2004/06/14(Mon) マトリックス、放屁!
2004/06/15(Tue) ばったり会う人
2004/06/16(Wed) なぞなぞ
2004/06/17(Thu) お酒の文化
2004/06/18(Fri) アラビアータ
2004/06/20(Sun) 洗濯を生き抜いた電子辞書
2004/06/21(Mon) 中毒ぎみ
2004/06/22(Tue) 2往復はジャグリング


2004/06/06(Sun)

睡眠小脳学習?

台湾から帰国。つまり気味の仕事を少しでも進めるべく会社へ。台湾で現地人に勧められた台湾ポップスの売れ筋CDを聞きながら、粛々と仕事。
これがいいよと勧められた台湾のCD
歌詞は北京語と英語のミックス。といっても英語はちょろっとだけ。
ボールを持っていかなかったことを後悔しつつ、1週間ぶりにジャグリングしてみたら、なぜか急に上達してた。日々やってて進歩がなかったものが、どうして長めの休止期間をおいて進歩するのか、まったくわからない。睡眠学習的だ。
左右の手に妙なクセがついていたのが取れたんだろか、4ボールファウンテンが少し続くようになって、20回の壁を超えた。ボックスも妙に気楽に投げれるようになって、25キャッチの記録。3ボールカスケードは1000回を超えた。

2004/06/07(Mon)

明治維新

小島慶三『戊辰戦争から西南戦争へ---明治維新を考える』(中央公論)、読了。弱体化する幕末の幕府から、戊辰戦争、明治初期の騒乱時代を経て西南戦争にいたるまでの明治維新、その筋道を俗説にとらわれることなく検証することで、近代日本成立の原点を探る、という本。ぼくはホントに歴史オンチなので勉強なった。のでメモ。
「桜田門外、血、桜の如し」なんてことはあったものの、版籍奉還、江戸無血開城と、日本の市民革命は無血革命だった。と、そんなことが言われることもあるけど、明治維新は紛れもなく多大な犠牲者を出した内乱でありクーデターの連続であったということがよくわかる。戊辰戦争の戦死者、犠牲者の数というのは日清戦争のそれを上回るらしい。しらんかった。
明治維新が起こった時代というのは、世界史的にも革命の時代だった。ただ、だからといってフランス革命やロシア革命と同列に論じることは意味がないと著者は言う。文化、風習、歴史、民族、宗教と、あまりに条件が違いすぎる。
と、そういう一方で、世界の革命が互いに呼応していないといえば、まったくそんなこともないわけで、日本の近代化は起こるべくして起こったのだという。教科書ではペリーが浦賀に来て大砲をドカンとやったので、あわてて欧米に習えとばかりに近代化したんだというような単純化をしているけど、事実はそんなに1本道ではないし、明治維新は外来勢力への対抗という形でのみ起こったものじゃないらしい。
ペリーの威嚇で鎖国を解いたということになっているけど、もともと江戸時代の鎖国というのは、幕府による貿易権の独占ということであって、国を閉じているという種類のものではなかったという。江戸時代の日本人は世界のことをよく知っていたという。そして、江戸時代は物的にも豊かで、人的、主体的、社会的条件は熟していた。
幕末に江戸幕府が倒れてなくても、近代化は起こっていた。むしろ明治新政府をぶちあげた行政経験のない志士たちより、徳川慶喜らが構想した幕府の改革案のほうが、近代的で優れた官僚システムで、明治維新という内戦が勃発しなかったら、それこそ流血なしに日本は近代化を果たしただろう、と、横浜で英字新聞を出していたブラックという人が言ってるらしい。
なぜ明治維新は起こったか。財政難から来る幕府の弱体化、武士層の意識の変化、関ヶ原以来の薩長の怨念といったようなことが背景にはあるらしい。
西郷どんや大久保らの政治闘争なんかの話は、あまりに話が多岐にわたる上にゴチャゴチャとしすぎていて、よくわからん。ここいらが歴史ファンにはたまらない「舞台」なのかもしれないけど。
ひとつだけ、長めの引用。
いずれの国でも共通の現象として言えることだが、近代化のプロセスがテイクオフ段階にさしかかる時、必ず直前、あるいは最中に対外的な意味を含めたリアクショナル・ナショナリズムというものが起きる。日本の場合は、尊皇攘夷、攘夷的開国論が起こっている。……攘夷を開国という線でなし崩しに転化させて明治政府は派遣を握った。……攘夷の意識が色濃く残ってしまった。これが富国強兵という線につながり、朝鮮、中国への進出、あるいは南下してくるロシアへの対抗ということで、いわば東亜経綸の勇ましい重い壮志という形となって残されたと言えよう。

2004/06/10(Thu)

つゆ

梅雨入りしてたのね。雨が多いと思った。
何というか、最近ブログにしてもフィルター系のサイトにしても、カスタマーサービスが徹底してきて「有用な情報以外は書くな」という感じでがんばってるサイトが多いように思う。すると、「最近忙しい」というヒトコト日記のようなことは、何となく気が引けて書きづらいというか。いや、そんなに意識してるわけじゃないですが。うーん、ブログねぇ。
10年ぐらい前、パソコン通信が流行りだし、ワープロが一般化し、それまで一部の職業人の特権だった「書く」ということを、多くの人々がやりだした。カラオケの登場で日本人の歌唱力が推定20倍に底上げされたのと同じように、日本人の文章力は劇的に向上したように思う。パソコン通信時代には、てにをはがめちゃくちゃな人は、いまの2ちゃん以上に大量にいた。カラオケ登場当時、オンチというのはたくさんいた。
10年前といえば、まだ「活字」という言葉が「手書き」と対立する言葉だった時代。タワラマチが、ワープロで書いた手紙は感情が見えないのでキライだと言った。いま、メールや掲示板で感情的なやりとりがあふれかえり、細やかな情緒のヒダが見えるような文章が日々やりとりされている。
10年前、ワープロを使い始めた人々は活字にアクセスできるような錯覚を覚えた。自分の書いた文章が美しい文字になって表示・印字されるのは革命的なことだった。逆に活字にアクセスできる特権を持っていた人々が、その権利を侵害されるような感慨を覚えた。でも、いま「活字」という言葉は商業印刷のことを指すだけで、ワープロで印刷したものを活字とは呼ばない。だから、実はその後も特権階級は特権階級として留まった。一瞬だけ、「自分の書いた文章がワープロで活字になる」という妙な錯覚が存在しただけ。
10年前、大衆の活字への流入に嫌悪感を感じたプロは多くて、哲学者の黒崎政男さんが、「いきなりスタジアムの観客全員が拡声器をもって叫びだしたような感じだ」というようなことをどこかに書いていた。いまのブログって、それの再来という感じがする。状況は、あのときよりさらにひどくて、有象無象のブログを際限なく読みあさっていると際限なくウンザリ来るような感じがある。
考えてみると、同じことが起こってるだけなのかもしれない。ブログを「新しいメディアだ」なんて言う人が多く、そういうとき、何か市民メディア的なことを言う人がいるけど、特権的な場所に登っていける人というのは、相変わらず一握りの才能や立場のある人たちだけで、有象無象は結局有象無象のまま凡庸なことを凡庸に書くだけ。ネット上はリンクひとつでつながる世界だけど、グーグルが示したように、ヒエラルキーというものは厳然としてある。
ブログに感じる嫌悪感って、そこなんだと思う。何をエラソーなテーマをエラソーな文体で、もっともらしく語ってるんですかって人が多い。しょせん誰かの受け売り、それもたいていは消化不良の情報不足なのに(いや、もともと人間の発言はすべて他人の受け売りだという話もあるけど)。なんかスタンスがズレちゃってる感じの人が、傍目にイタイ感じがあるんだろう。素人衆がトラックバックしあってる姿って、俳句クラブで才能のないおじいちゃんたちが、互いに駄作をほめあってるような感じ。
こういう話は、「アホいうほうがアホやねんで」というのと同じで、そのまま自分に戻ってくるわけですが。
何の話だ。仕事、忙しいって話だった。

2004/06/12(Sat)

久しぶりの休日

金曜日、朝7時まで仕事。果たして終わるんだろうかと心配だった仕事が、ちゃんと終わったのに自分でもやや驚き。終わってみれば、ああすればよかったこうすればよかったという不満はいろいろあるものの、ゲラを読みながら自己満足。ひねりのないストレートな内容だけど、この特集は人気が出るんじゃないだろうか。今までこれほど非パソコン系の人に向けたパソコンいじりの文章は書いたことがないというほど、非オタク系を意識してみた。オタク系雑誌から、ややオタク系雑誌に移ってよく耳にした言葉。「そんなこと、別に知りたくもないし、どうでもいいんだよ。それより、どうすればどうなるのかを端的に教えてよ」。読み流しのノウハウ週刊誌ってのは、そういうことなんだ。デュアルチャネルメモリーの話なんて、専門誌に任せておけばいいのだ。売れている雑誌が売れているのには理由がある。読者層が見えて、しかもその層に厚みが感じられるとき、雑誌というのは作りやすい。売れている雑誌で、直球ストレートで読者に届くと思えるような、売れる企画をやるのは、それはそれで楽しいものだ。
久々の休日なので無理してお昼に起きる。板橋のジャグリングショップ、『ナランハ』へ。駅から徒歩5分ほどのお店にたどり着くと、定休日……。ちゃんとウェブで地図まで打ち出して行ったのに、「土曜日はお休みです」を読み飛ばしてた。ガッカリ。なんだか悔しいので夕方待ち合わせの池袋のハンズで、またしてもビーンバッグを3つほど追加購入。ついでに、「MAD MAG」という磁石の棒と玉の2600円ほどのセットを買ってみた。24本の棒と18個の玉では、あんまり複雑な立体は作れないらしい……。もっとゴージャスな、1万円を超えるセットを買えってことか。でもまあ超強力な磁石で、いったん組み合わせたものをグニャグニャと変形していると、ちょっと楽しい。
正20面体も作れない……。
MIMAの食事会でメキシカン。
「さわりだけ聞かせてよ」という言葉。「さわり」というのは、ぼくは頭の出だしのことだと思っていたけど、ある時、岩波の本に挟まっているしおりに、この言葉の解説があって驚いた。「さわり」というのは、もともとはいちばん聞かせる部分、つまり「サビ」のこと。肝心要の部分を指す言葉。話のさわりだけ教えてと言えば、それはポイントだけ話せよってこと。そういう語感ってありますか?
という話をしたら、その場にいた4人のうち、3人が「さわりと言えばサビだ」と言って、ぼくだけが「頭の部分かと思った」という話に。ぼくだけ、若いってことか。実際に年齢はぼくがいちばん下だけど。ちなみに、 「えっ、さわりってサビのことだったの?」と職場で隣の人(推定30歳)に聞いたら、その人も頭の出だしだと思っていたようだったけど。35歳前後にフォッサマグナがあると見た。
これが「さわり」の解説。近年の若い層に少なからず……。とあるので、きっと10年後には意味が変わるでしょう。
HMVに行けばわかるけど、いまのCD世代の人々の音楽の聞き方は、昔とはだいぶ違う。まず、その曲やそのアーティストが好きかどうかを判断するために、何をするかと言えば、どんどん曲の頭の部分だけ聞いていく。頭から聞いてみて10秒で気にくわなかったら、飛ばして次の曲に行く。みんな頭しか聞いてくれない。だから、いまの楽曲というのは、圧倒的に「頭サビ」というのが多くて、逆に聞かせる部分を頭にもってこないと売れないのだそうだ。
メール世代もそうだ。結論と要点は頭に書けと言われる。
つまり、今の若い世代にとって、要点がなかなかやってこない情報構造というのは、そもそも存在自体として間違っていて、頭の部分=さび=さわり、なのだ。とか強弁してみる(笑)
a touch of〜と英語で言えば、「少しの〜」という意味だし、やっぱり「さわり」と言われると、ぼくは「頭のほうの少し」と感じてしまう。と、これも強弁。だって、ほんのり浅く触れると深い部分まではわからないわけで、それはやっぱり曲で言えば頭の部分……。
そもそもサビというのだって、「寂れる」から来てるんだから、そこがいちばん盛り上がるのってヘンじゃないですか?
三味線をやってる崎田さんの話では、三味線の両端の弦がネックを介して互いに共鳴して大きな音を出すことを「さわり」と言うんだとか。三味線のチューニングは、上から読んでも下から読んでも「B、E、B」なんだとか。なので、ベベーン(というのは琵琶か)とオープンコードをかき鳴らすと、上下の弦が共鳴する。

2004/06/13(Sun)

霊性的直覚

鈴木大拙『仏教の大意』(法蔵館、1947)、読了。昭和天皇と皇后様に、ご進講さしあげたものを基礎に起稿した本だとか。みずから英訳もしているらしい。
耳慣れない仏教用語がたくさん出てくるので、なんだかよくわからないところも多いけど、「△△△とは、◇◇なのです。○○と言い換えてもいいでしょう。これはキリスト教で○○というのと同じことです」と、宗教の違いや宗派の違いを超えて、次々と抽象的な言葉や概念をつなぎ合わせてしまう歯切れの良さがいい。

2004/06/14(Mon)

マトリックス、放屁!

久しぶりにプールへ。1km。1カ月ぶり……。コンスタントに水泳を続けるのは、なかなか難しいものがあるけどなぁ。はぁ。
4ボールのもっとも基本となるパターン、ファウンテンが回り始めた。だいたい10〜20キャッチぐらいはできて、調子がいいと30キャッチを超える。いくつか「開眼した!」という感じがあってうれしい。軌道やリズムがズレてきたときに、どう修整すればいいのかがわかりつつあるような感触。楽しい。
台湾で買ってきた『駭客在務完結篇 最後戦役』をみる。いわゆるマトリックス・レボリューションズ。「bullshit!」というとき、字幕に「放屁!」とあったのに驚いた。それ以外は見るだけ時間のムダだったとしか思えない映画。マトリックス、放屁!

2004/06/15(Tue)

ばったり会う人

久しぶりに元上司のNさんを誘って麹町アジャンタ。フィッシュティカ、チキンキーマ、サーグマトン。いつものように「最近作った本」といって2冊ほどいただく。1冊は分厚い本で、けっこう売れたものだとか。半年ほど前に書棚で見かけたときには手に取らなかった反戦本だった。多数のライターによるオムニバス形式なので拾い読みしてみて、という。
最近まで百科事典関係の仕事をしていたNさんは、小さな機械に巨大な事典を突っ込んでいた。本棚1本がつぶれるような事典が手のひらに。かつて「こういうのがほしい」と思ったような夢のような事典だけど、どうも昔ほどピンと来ない。10年前、パソコンで本格的な百科事典が引けることに感動したのとはずいぶん違う。
たとえば「アメリカ」のような大きな項目を引くと、原稿用紙で200〜300枚ぐらいある長文の解説が出てきたりするすごいヤツなのだけど(この段落が原稿用紙1枚ぐらい)、それを出先で読むかと言われると、どうも違うような気もしてくる。出先で読む調べ物の解説のレベルは、やっぱりマイペディアぐらいがちょうどいいのではないかと思えてくる。重量級百科事典のありがたみが、Googleのせいで減っているのは明らかで、ネットに対抗できるのは、むしろ簡潔で過不足のない解説が10秒で読めるマイペディアのほうじゃないだろうか。もちろん目指すべきなのは、端末の表示能力やネットワーク帯域、それからユーザーの気分によって、簡・中・詳の段階別の解説を表示すること。携帯電話で事典を引くなら、声で聞いて声でポイントになる1文を答えてくれるほうがいい。
そこに行けば3度に1度ぐらいの確率で会うのだから、もはや「ばったり」という言葉はまったく当てはまらないけど、カレーを食べ終わって階下に降りると、取締役のEさんにばったり会った。NさんとEさんもご無沙汰な感じで、本の企画でひとしきり立ち話。

2004/06/16(Wed)

なぞなぞ

プール1200メートル。くたびれ気味。やっぱりしばらく休むと明らかに筋力が落ちている。
なぞなぞです。
サンゴくんと、ワカメちゃんと、サヨリちゃんが3人でショッピングをしていると店員のタコさんはワカメちゃんばかりに話しかけます。どうしてでしょうか?
フジモトマサル『今日はなぞなぞの日』(平凡社)、読了。読み始めて15分で読み終わったということは、ぼくはハッキリ言ってこの本のキモを楽しめない人種ということだ。10秒でわからないとページを繰って答えを見てしまう。ははぁ、だいたいパターンが読めてきたぞと思いながら読み進むのだけど、どうもパターンに分類できない新たなものもあるし、「そんなの1日悩んでも思いつかんよ!」というかなり高度なのもあったりするので、ついつい答を見てしまう。せっかちなんだな、修行が足りん。
知ってる人も多いでしょうが、これ、「ほぼ日」で連載されてたものらしいです。タコの店員なぞなぞの答えは……、って、せっかくなので30秒ぐらい考えましょう。ダジャレでせめてください。答えは、ココ
この手の、ちょっと大人向け(?)のなぞなぞが、カワイイ動物のイラストとともに100個以上。ぼくがこの本のなかで最大のタネあかしだと思ったのが、なぞなぞ作家にしてマンガ家の作者によるあとがき。どのなぞなぞも、なかなか高度なひらめきが要求されるので、どうやったらそういうなぞなぞを思いつくか、ぱらぱらとページを繰りながら不思議な気がしていた。その答えが、あとがきに書いてある……、のだけど、なぞなぞの答えを人に教えるのは、なぞなぞの最大の楽しみを奪う愚行だそうですから、書きません。あ、これはなぞなぞではないか。
いや、答えを知ると何でもない話で、ダジャレなぞなぞ作成のミソは「先にダジャレがありき」なわけです。って、当たり前か。まあほかにもポイントはいくつかあるようです。で、単にダジャレとして口にすると場が白けるようなものでも、なぞなぞにすると立派なエンターテイメントになるんだと、この作者は言ってます。なぞなぞを読んでいると本当にそうだなという感じ。ある意味では、ダジャレ(オヤジギャグ)がひらめいてしまう人が、その喜びと興奮を本当の意味で周囲に伝えられるのは、こういう形なのかもしれないな、と思う。ダジャレを言って場が白けるのは、なぞなぞの答えを先に明かすのと同じ理由なのかもしれませんぞ。ダジャレを思いついた本人ほど、周囲の人々の脳みそは、その新鮮な組み合わせに驚かない。ところが多少なりとも、そのプロセスをたどらされると、脳みそのどこかがスパークする感じがあるのかも。
ぼくに会ったら、「なぞなぞ出してよ」と言ってみてください。10個ぐらいはお気に入りなぞなぞができました。

2004/06/17(Thu)

お酒の文化

アルコール依存症82万人、成人男性の2% 厚労省推計。数え方によって数字なんて何とでも変わるのだけど、それにしてもねぇ。この数字を発表した久里浜式アルコールセンターのページにある「KAST」(久里浜式アルコール症スクリーニング・テスト)による自己診断だと、「2点以上 きわめて問題が多い 重篤問題飲酒群」という基準のところ、かつてのぼくの飲酒習慣は6.5点と、とてつもないハイスコアーとなってしまう。
薬物依存、あるいは物質依存といってもいいけど、どうもよくわからない。精神依存、肉体依存は違うんだとかいうけど、そんなに截然とわけられるもののように思えない。依存、嗜好品というのは不思議な存在だと思う。
いま読んでいる本から引用。

ワイン大国のイタリアでは、もちろん大量のワインが飲まれている。しかしほとんどが食事の席だけで、ワインにかぎらずアルコール類をそれ以外の場でガブガブ飲む人は非常に少ない。日本語には酒豪などという大酒をなかばほめるようなことばがあるが、わたしの知るかぎり、酒飲みをあらわすどんなイタリア語にもそんな語感を持ついい方はない。一般に食事の滋養から離れた飲酒は、悪徳とまではいわないにしても悪癖(ヴィツィオ)であり、人間的弱点とみなされている。テレビのニュースで政治家などの汚職が報じられるとき、「彼もまた人間だった」というのがしばしばキャスターの結び文句になるように、人間の弱点には理解のあるイタリア人のことだから、飲酒程度の悪癖で人をあからさまに責めたりはしないが、酒飲み人間のことを最低と評しているのを何度も聞いたことがある。

酔っぱらうことはまた美学的にも問題であり、そんな姿をみられるのは不名誉である以上にまことにカッコわるいことだ。だから、女性はもちろんのこと、靴をピカピカに磨き上げたおしゃれなイタリア男がワインを飲み過ぎて酔っぱらうというようなことはまずありえない。ファッションと酩酊はイタリアでは両立しないのである。そのためだろう、若い男たちはあまり酒を飲まない。覚醒の緊張感がカッコがいいのである。わたしのみるかぎり、年齢とともにおしゃれへの関心が低下すると、酒量が増えるようでもある。

ほかにも、酒は飲めても主義で飲まない「アステミオ」とよばれる人たちが、男性にも少なくないことをつけくわえておこう。

野村雅一、「酔わないイタリア、酔うギリシア」『嗜好品の文化人類学』より。

もちろん、このあとに、ギリシア人がいかに飲んべえかという話に続くのだけど。
独酌や連日の飲み会、飲むための飲み会のようなものが、いかに近代日本に特殊な飲酒習慣で、しかも今のところ寛容に受け入れられているか。そして、それがいかに危険なことか。と、そんな証拠を、自分がお酒をやめてしまってからかき集めてるようなところも、ないわけではありません。柳田国男の書いた日本人とお酒の付き合いの歴史なんかを読むと、今みたいな飲酒文化が、いかに近年にはじまったものであるかが、よくわかる。昔の日本人は、いまほどお酒を飲んでない。しょっちゅう飲めるほど豊かでもなかった。
ぼくは変節漢だから。いったん意見を変えると劇的に変えますよ。アステミオですよ。

2004/06/18(Fri)

アラビアータ

妙に仕事が順調。あれもこれもスケジュールどおりでストレスがない。まるで公務員のような淡々とした日々。欠乏感がなにかを生み出すエネルギーの源泉だとしたら、いまのぼくは何も生みだしっこないなと思う。そう考えるとむなしいので、そろそろ1年経って充電も終わったし、学ぶべきことは学んだというか、見るべきものは見たかなと考えることに。
24時、元後輩のNを誘って新宿御苑のラ・ボエムでアラビアータ。仕事の話。話していて、アタマが整理されたり思い出したりすることってのはあるもんだ。

2004/06/20(Sun)

洗濯を生き抜いた電子辞書

もう2年半ほど使っていてお気に入りのソニーの電子辞書、DD-IC2050を、ジーンズのポケットに入れたまま洗濯してしまった。当然、電源は入らないので、もうあきらめてまたヤフオクで同じのを買う気になっていたのに、24時間ほど置いて乾燥しきったところで電源を入れたら、何事もなかったかのように動き出した! 一瞬、液晶のドットすべてが塗りつぶされて、さらにそれが潮が引くようにアナログ的に中央から周辺に向かって消えていくような感じだったので、デバイスレベルで浸水して壊れただろうと思ったのに。
電池を入れたまま洗濯しちゃったのに、何事もなかったかのように動いている。
そんなことってあるのか? いや、実際にあったのだけど。

このところ4ボールファウンテンしか練習してなかったジャグリング。何となく「そろそろ本丸を攻めないと」という気になって、ようやくというか、ついにというか、ミルズ・メスをまじめに練習し始めた。そもそもミルズ・メスをやってみたくてジャグリングを始めたのに、半年もあれこれと違うことをやってたことになる。もちろん、ミルズ・メスも試してみたことはあったけど、どうにも「動きすらわからん」という感じで1分と経たずにストレスがたまるので、「そのうちね」と後回しにしてきた。ミルズ・メスは、だいたい練習をはじめて1週間とか1カ月、長い人でも数ヶ月で習得できるようだから、ぼくのようにジャグリングをはじめて半年なのにまだミルズ・メスもできない(あるいは練習すら始めていない)ってのは、ちょっとゆっくりペースようにも思う。もっとも、趣味のジャグリングをやってるのは、だいたい学生さんが多いので、日々練習にあてられる時間の単位がまるっきり違って比較にならないかもしれないけど。
ボールを持たずに腕のクロス動作を確認。次にボールを2個もって、クロス動作を確認。2個投げて2個受ける。なんだ、そういうことだったのかと、やってみて初めて理解する。さらにボールを1個増やして、3ボールで、図やムービーを見ながら動きを確認。今まででも、もう相当ミルズ・メスの動きを見たはずなのに、ちゃんとボールの動きを理解してなかったことを発見。右と左がどうつながるのかがよくわからないままではあるものの、ともかく左右両方から3ボールでクロスする練習を2時間ほど続ける。ウィンドミルができる側は最初からうまく投げられるけど、そうじゃない方向は、やっぱり苦労する。どうもクロスした左手から左上に投げる「すくい上げ動作」がうまくいってないらしく、斜め上にあがるべきボールが真上にあがってしまう。原因がわかっても、修正がままならないのがジャグリング。これは身体に覚えてもらうしかない。
さらに1時間ほど、腕がクタクタに疲れるほど猿のように練習。で、全体の動きがわかって、ついに1周つながった! 3つのボールが「∞」の字を描いたぞ! 思わずひとりでガッツポーズ。
やっぱり、新しいパターンを習得するときには、まず2時間とか3時間とか、ある程度まとまった時間をかけて練習しないとダメらしい。

2004/06/21(Mon)

中毒ぎみ

ミルズメスの練習、2日目。「あっ、あと少しでできそう!」と思うとキリをつけられなくて、ほとんど猿のように2時間ほど練習してしまった。ジャグリング中毒気味。楽しすぎる。
グッと進歩。1.5〜2周つながって、連続した形になった。ただ、上手な人の美しいミルズメスは、3つのボールが生き物のように8の字を描いて追いかけっこをするのだけど、今のぼくのミルズメスは、3つのうち1つのボールが真上にあがってしまっていて、そこだけ軌道から置いてけぼりという感じになってしまう。ネット上で見かけるミルズメスのなかにも、幾何学的対称性や軌道の描く曲線の滑らかさに乏しいものがあって、同じ動作のはずが、やる人によってまったく印象が違ってくるパターンなんだということがよくわかる。
4ボールファウンテンは、ほとんど進歩がないような気がするし、ともすると下手になったような気すらしたりもしてくるけど、とりあえず今日は最高記録の69キャッチをマーク。

2004/06/22(Tue)

2往復はジャグリング

ミルズメスの練習、3日目。左右2往復を少し超えて、つながりだした。1巡つながったときのような感動はないけど、何となく「ああ、できたかも」という感じ。相変わらず美しくないし、ボールの軌道にも、本来あってはいけない上下動が多く含まれていてミルズメスとは違う別のパターンに見えてこなくもないようなモノではあるけど。相当おもいきって上半身を左右に傾けたほうがいいらしい。
ともあれ、ジャグリングの世界では、パターンを2巡したら、そのパターンのジャグリングに成功したと見なすという規定があるらしいので(いろいろと公認、非公認の世界記録が広がる世界です)、いちおう「ミルズメスできた」と言えるのかしら。
ミルズメスは中腰とか座って練習できるのがいい。高い投げ上げが必要な3ボールフラッシュとかシャワーでボールを落とすと、深夜には近所迷惑が心配になるほどドスンドスンと鳴り響く。まして、5ボールの練習でもある55550とか3イン1ハンドをやると、確実に大量のボールを落とす上に、自分が思っている以上に高く投げあげてしまうことがあるので、夜には練習ができない。

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